https://mainichi.jp/articles/20200517/k00/00m/040/070000c
毎日新聞2020年5月17日 12時07分(最終更新 5月17日 12時30分)
現在も残る簡易宿泊所。滞在者もいるようだ=川崎市川崎区で
川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所2棟が全焼し、11人が死亡した火災から17日で5年がたつ。かつて生活保護受給者や日雇い労働者向けの簡宿が建ち並ぶ「ドヤ街」として発展した街だが、この5年で簡宿の数は半減。外国人やビジネスマンなど新たな顧客層を対象にしたゲストハウスが増える一方、経営に危機感を抱いて廃業する簡宿も少なくない。【高田奈実、市村一夫】
人通りの少ない路地から、室内の洗濯物やカーテン代わりにつるしたシーツが見える。日進町にまだ残る簡宿からは、窓越しでも住人の生活感が漂う。
その一方で、廃業した簡宿の跡地に建った築浅のアパートやマンションも点在する。更地となり、雑草が茂った空き地も目立つ。身寄りのない生活保護受給者の受け皿となったドヤ街の面影は、年々薄れている。
川崎市によると、火災当時周辺にあった簡宿49棟は現在、24棟が廃業。跡地にはアパートなどが建ち、残る25棟のうち5棟は外国人向けのゲストハウスなどに形態を変えて営業を続けている。
今年1月にゲストハウスとしてリニューアルオープンした「スワロー」は、20部屋を8部屋にして面積を広げ、大人数が宿泊できるようにした。和式トイレを洋式に変えたり、Wi―Fi(ワイファイ)を設置したりして、家族や若者など新たな顧客層の取り込みを狙う。
30年以上管理人を務める女性(70)は「火災前から景気が悪くなって宿泊客は減ってきていた。当時から経営が厳しくなっていて、変えていく必要があると感じていた」と振り返る。
生活保護受給者の高齢化などにより、簡宿滞在者の減少は火災前から始まっていた。そこに発生した火災が、簡宿からの退去を加速させたという。
現在も376人滞在 「ついのすみか」
アパートなどに転居させる市の支援事業もあり、簡宿滞在者はこの5年で1349人から376人まで減った。残る人の半数近くが10年以上入居しており、年代別では60歳以上が8割を超えている。
2018年に地区内でいち早く簡宿をリフォームして開業したゲストハウス「日進月歩」を運営する吉崎弘記さん(45)は、今後の経営を心配する簡宿オーナーから、よく相談を受けるという。「今滞在している人は今後減っていく。新しい人を外から呼び込まないと街を残せない」と話す。
一方で、アパートなどへの転居を拒み、簡宿での生活を選ぶ高齢者もいる。東京都内で建設関係の仕事をしていたという男性(77)は、5年近く暮らした日進町の簡宿が数カ月前に廃業となったため、今は地区内の別の簡宿で暮らす。
男性は火災の後、転居を勧められたが断ったという。理由を尋ねると、ぽつりと漏らした。「引っ越しても長生きできないし、行ったり来たりしても疲れる。ここで人生を終わらせるしかない」
川崎市簡易宿泊所火災
2015年5月17日未明、川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所「吉田屋」から出火、隣接する「よしの」にも延焼して計2棟が全焼し、利用者11人が死亡。市の調査で49棟のうち24棟が建築基準法違反と指摘された。市消防局は吉田屋の玄関付近からガソリン成分を検出したとして放火との判定結果を公表。県警は失火と放火の両面から捜査を続けている。
毎日新聞2020年5月17日 12時07分(最終更新 5月17日 12時30分)
![川崎の「ドヤ街」変貌 簡宿半減、ゲストハウスや廃業 11人死亡火災から5年 [ひよこ★]->画像>1枚](https://cdn.mainichi.jp/vol1/2020/05/17/20200517k0000m040072000p/9.jpg)
現在も残る簡易宿泊所。滞在者もいるようだ=川崎市川崎区で
川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所2棟が全焼し、11人が死亡した火災から17日で5年がたつ。かつて生活保護受給者や日雇い労働者向けの簡宿が建ち並ぶ「ドヤ街」として発展した街だが、この5年で簡宿の数は半減。外国人やビジネスマンなど新たな顧客層を対象にしたゲストハウスが増える一方、経営に危機感を抱いて廃業する簡宿も少なくない。【高田奈実、市村一夫】
人通りの少ない路地から、室内の洗濯物やカーテン代わりにつるしたシーツが見える。日進町にまだ残る簡宿からは、窓越しでも住人の生活感が漂う。
その一方で、廃業した簡宿の跡地に建った築浅のアパートやマンションも点在する。更地となり、雑草が茂った空き地も目立つ。身寄りのない生活保護受給者の受け皿となったドヤ街の面影は、年々薄れている。
川崎市によると、火災当時周辺にあった簡宿49棟は現在、24棟が廃業。跡地にはアパートなどが建ち、残る25棟のうち5棟は外国人向けのゲストハウスなどに形態を変えて営業を続けている。
今年1月にゲストハウスとしてリニューアルオープンした「スワロー」は、20部屋を8部屋にして面積を広げ、大人数が宿泊できるようにした。和式トイレを洋式に変えたり、Wi―Fi(ワイファイ)を設置したりして、家族や若者など新たな顧客層の取り込みを狙う。
30年以上管理人を務める女性(70)は「火災前から景気が悪くなって宿泊客は減ってきていた。当時から経営が厳しくなっていて、変えていく必要があると感じていた」と振り返る。
生活保護受給者の高齢化などにより、簡宿滞在者の減少は火災前から始まっていた。そこに発生した火災が、簡宿からの退去を加速させたという。
現在も376人滞在 「ついのすみか」
アパートなどに転居させる市の支援事業もあり、簡宿滞在者はこの5年で1349人から376人まで減った。残る人の半数近くが10年以上入居しており、年代別では60歳以上が8割を超えている。
2018年に地区内でいち早く簡宿をリフォームして開業したゲストハウス「日進月歩」を運営する吉崎弘記さん(45)は、今後の経営を心配する簡宿オーナーから、よく相談を受けるという。「今滞在している人は今後減っていく。新しい人を外から呼び込まないと街を残せない」と話す。
一方で、アパートなどへの転居を拒み、簡宿での生活を選ぶ高齢者もいる。東京都内で建設関係の仕事をしていたという男性(77)は、5年近く暮らした日進町の簡宿が数カ月前に廃業となったため、今は地区内の別の簡宿で暮らす。
男性は火災の後、転居を勧められたが断ったという。理由を尋ねると、ぽつりと漏らした。「引っ越しても長生きできないし、行ったり来たりしても疲れる。ここで人生を終わらせるしかない」
川崎市簡易宿泊所火災
2015年5月17日未明、川崎市川崎区日進町の簡易宿泊所「吉田屋」から出火、隣接する「よしの」にも延焼して計2棟が全焼し、利用者11人が死亡。市の調査で49棟のうち24棟が建築基準法違反と指摘された。市消防局は吉田屋の玄関付近からガソリン成分を検出したとして放火との判定結果を公表。県警は失火と放火の両面から捜査を続けている。