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俺は地元離れて会社の寮に入ってて成人式の案内のハガキも受け取らなかった
受け取ったとしても行ってなかったと思う
上司先輩が14日の夜に飲み会開いてくれた
成人式の頃には会社に入っていてお金は大丈夫だったので、スーツで行ったけど
お金ある家の子は皆んな専門学校か大学に行っていて、大学組はマスターに行くかどうかが話題だった。
高卒半分、大学が三分の一位で他が専門学校か中卒だったかな。
昔は大学行くのが3割位、兄弟2人なら1人しか行けなかったでしょ、誰も金貸してくれなかったし
俺は高校行かせてもらっただけでもありがたいと思ったな
成人式に出た女の子と話したら着物をローンで70万で買ったと言っていた。レンタルにすればいいのにと思った。
四人兄弟の末っ子で金無いの分かっていたからノート代位しか親に言わなかった。
自分で夜学の大学探して行った。自活の精神が早くから養われたと思う。
>>11 夜学にゆく根性は見上げたもんだわ。
素直に凄いと言える。
会社で働いていて、大学は夜学行きたいと、考えたこともあったが
働き始めると、夜学ゆくのは私は無理だった。
そういう人もいるとは思うが、もう少し素直な目でみてもいいんじゃないかな。
駄菓子屋にあった10円の粉ジュースを入れて薄めて飲む
>>17 缶入りのカルピスウォーターが発売になったときに、あまりにも濃くてびっくりした。
うちのももっと薄かった。
普段は駄菓子屋のチクロチョコしか食えず
まともなお菓子屋にある板チョコ食べたかった
後に親父がパチンコでとってくるまで待った記憶
小学4年まで風呂なし共同トイレのアパートに住んでた
小4まで隣の風呂なし家族が毎日家の風呂入りに来ていて
俺はそれまで同級生の女子とその風呂に毎日一緒に入っていた。クラスの奴らにはずっと内緒だったけど
でも何故か助べーな気持ちは一度もなかったしそれが当たり前だとも思ってた。
その家族が近所のアパートへ引っ越す小5の夏まで家に入りに来ていたけど流石に小学5年からは風呂は別だったけど、夏場の暑い日の水風呂は一緒に昼間入った。それが最後の混浴に。胸も少し膨らんでたw
赤い羽根共同募金が炎上してる話を聞いて
ガキの頃から募金した事無かったと思い出した
当時流行ってたプロ野球チームの帽子にみんな赤い羽根を飾ってかぶってた
周囲の同調圧力がつらかった
>>20 パチンコ屋の景品で取ってきたチョコレートが白くなっていた
チョコレートの表面にポツポツと白い粉が付いていたり、部分的に白く変色したりする現象を「ブルーム」と言います。
賞味期限が切れたそんなチョコレートでも喜んで食べてた
>>22 いいなあ
ウチに貰い湯に来たのは男の子で一緒に入ったな
その子の家は貧乏長屋で団地が当選したので引っ越してさよなら
実家の風呂は薪で沸かす五右衛門風呂だった
いつも風呂を借りにくる隣の家族に15〜6歳のお姉さんがいて
まだ小学校に上がる前だった俺はそのお姉さんに風呂入れて貰ってた
もちろんその頃は何とも思わず一緒に風呂入ってたんだけど
数年後お姉さんがお嫁さんに行く時にからかうようにその事覚えてるか聞かれて急に恥ずかしくなった
幼い頃から一緒にお風呂入っていると同級生でもまったく恥ずかしさなんてなくなるからあら不思議。
中学生になっても高校生になってもおれの前で平気で着替えらる同級生の幼馴染み
それから10年ぐらい経って結婚する話し本人から聞いて、何故か当人の前で涙流してしまった俺。今では孫もいるいいおばあちゃんになってしまった同級生の幼馴染み。
阪神淡路大震災からもうすぐ28年
芦屋の高級住宅地で家が倒壊して亡くなられた人も多いようだ
ホームレスなら助かっていた
友達にも貧乏な人はいたけど、家で行水してたのは我が家だけやったな。
木造のボロ家で、雨漏りが酷かった。
阪神淡路大震災の数年前に引越ししたけど、あのままあそこに住んでたら、間違いなく圧死してた。
阪神淡路大震災の後、二年後まで国内のビル建設に影響でてて
関東でも保育園施設竣工日程が遅れた。
低所得者層の共働き夫婦で保育受け入れが遅れてたまたま当たった方は相当苦労されました。
家には早いうちに冷蔵庫が来たけど中には
たいした食い物なかった
もっぱら昨夜の残り物と梅干し
高2までテレビが無かった、どんだけ貧乏なんだよ~ (T_T)
家庭科で使うお裁縫セットを買ってもらえなかった
結局無いと困るので後で発注してもらったらみんなと違うデザインのが届いた
切なかったけど、無いより良かったからいいや
高校の頃、東京から親戚の子が泊まりに来る事になった。
あまりにも遠戚だったので、誰の子すら判らないが「色んな家に泊まってみたい」という話だった。
たぶん、食事も宿泊もタダだし、親戚の私達は歓待されるはずと思ったのか、よく知らない遠戚の我が家に半ば強引にやって来た。
やって来たのは女の子二人で、同じ高校生だった。
夜、さあ風呂でもどうぞとなったら「入れない…」と言い出した。
ウチは脱衣所なんて無いから浴室を出たら台所と居間に繋がっていた。
浴室には鍵なんて無い、薄いベニヤの扉だった。
たぶん、そんな無防備なお風呂に入った事が無かったんだろうね。
父は「ここの家にお世話になるんだから、ここのお風呂にもキチンと入らないとダメだよ」と言うと涙目で姉妹で入ってた。
たぶん、一人が入浴中にもう一人が中から扉を押さえていたと思う。
当初の予定では、我が家に2泊して観光を楽しみ、隣県の親戚もまわる予定らしかったが、翌日には早々に東京に帰って行った。
住んでる人は全然平気なんだけど
遊びに来た人からは「怖くて入れない…」なんて言われちゃうんだよね
何気にショックだったな
小学校の同級生を初めて家に入れたら❍❍君の家狭いなあ!と言われた事
小学生の頃アパート住まいの友達を自分の家に呼んであそんだ。そしたら友達が、一戸建てに住んでていいなあ、と言った。その時は何も思わなかったけど、自分の両親が離婚して母親と東京の六畳一間のアパートに住み始めて、以前に友達が言った言葉の意味がわかった。
まあ普通は「碌なおもてなしができないから」と断るな
俺と同い年のいとこの女の子の家も裕福ではなくて、三姉妹で同じ部屋だって言ってた
どうしてもパーソナルスペースが欲しくて階段下の廊下の空き空間にベッド置いてカーテンで囲って無理矢理自分の部屋にしてた
その子が中学最後の冬休みに1人でウチに遊びにきて、メシはウチで食べて俺の姉が近所にアパート借りて住んでたからそこに泊まった
とにかく早く家を出たかったらしく高校もすぐ中退して働きだして、高2の歳には一回り上の男と結婚してた
上の話読んでそんな事を思い出した
トイレに行っても
お風呂に行っても
玄関でも
時には寝室にも
いつもいつも便所コオロギがいた
だいだいだいだいだいっきらいなのに
汲み取りだからチリ紙の横に
ネオ片脳油の缶が置いてあった。
便所コオロギはハリガネムシに操られ水のところに誘導される
家の便所が汲取式でたまに蛆虫が便器から這い出てたなぁ 知らずに用を足そうとして踏んじゃうこともあった
汚ない共同トイレが嫌でもっぱら近くにあった公園のトイレだったから比較的綺麗だった。風呂も冬は一週間に二度、隣地区にあった銭湯だったから綺麗だった。
夏は家の流しの脇にたらい置いて体洗ってた。6畳一間に台所、親子四人住み
ウチは中1まで銭湯に行ってた。
貧乏だったけど、風呂だけは毎日銭湯に行ってた。
2つ有る浴槽の1つをムチャクチャ熱くする爺さんがいて、その爺さんが風呂入っていたら親父と「爺さんが先に入っているぞ」と笑ってた。
ある時、何日もあの爺さんの姿を見ないので親父が番台の人に尋ねたら、「いつもの様に銭湯に来て、浴槽から上がろうとしてら倒れて、そのまま亡くなった」という聞いた。
今でも熱い風呂に入ると、あの爺さんを思い出す。
電気代高くなったからエアコン止めて毛布かぶってるよ
今朝は冷えるなー
毛布は電気毛布がいいよ
ジャパネットで売ってる電気毛布はすごくいいよ
寝る時は布団や毛布だけの暖かさで足りるよう調整して、起きてる時に電気毛布被るか膝に掛けるかがよくない?
今週頭に灯油は18リッターで二千円軽く超えているから、その店安くて良いね。
灯油やガソリンは地域差かなりあるから
関東に住んだらもう長野なんて住めないよ
関東は今レギュラーガソリン160円前後で灯油は100円前後だけど
高い地域まだ170円の110円とか
レギュラー80円だった時が夢のようだな
灯油18リッターでも千円でおつり来た
いつも安値を調べるのにガソリン比較サイトgogo.gsを見てるんだけど
灯油18リッター最安値は石川県で1,620円
最高値は横浜で2,360円
地域差すごいな
茨城県で近くのエネオススタンド、灯油18L1810円(消費税なし)だった。
寝てて寒くなったらドライヤーで布団の中をあっためる
今でも貧乏
白金カイロはコスパでお勧めでした。
還元熱というのもこれで知りましたです。
大人になったらいわゆるホッカイロ使ってます。
楽ちんなので。
ただ使い終わったガラを見るたび、無駄だなーと、と思ってます。
犬猫って贅沢品じゃないのかな?
うち借金返しおえてから動物愛護センターから捨て犬を貰ってきた。
いろいろお金掛かったけど頑張るエネルギーの一つにはなってくれた。
ただ借金あるうちは、養育費が気に掛かり飼うのは無理ぽだった。
>>71 犬を抱いて寝ると暖かいよ暑いくらい
猫は布団の中にいれて寝ても暖かさがあまり伝わってこない ただすごい幸せな気分になれる
マキタの電熱ジャケットを24時間(仕事中も自宅にいるときも寝てる時も)着続けてる
一式揃えるのに4万円近くかかるけど後はバッテリーの充電の電気代位だからお得といえばお得だと思う
真冬は毎日腰にカイロ二つ貼り付けてたけど電熱ジャケット買ってからはカイロいらなくなったしカイロより遥かに暖かい
自宅があばら家で寒いから俺と同じような環境の人にはお勧めだな
犬なんて一緒に寝たら顔舐められそうで嫌だwそれに体臭もあるし
猫はあまり舐めないし、猫吸いという言葉があるくらい、顔をうずめて匂いを嗅ぐのがポピュラー
でも糞尿は犬より臭い
寝ていると私の顔に猫が超顔を近づけてくる
ひげが当たってくすぐったいんだよ・・・
生きてるか確認しただけ。好かれていればザァリザァリ舐める
お金ないのに何で飼えたんだろ
犬
ハムスター
鳥
鶏
うさぎ
>>83 山羊って、草むしりの仕事していた?
ひょっとして、千葉寄りの都内?
沖縄では自宅の山羊を潰して解体した時に近所にもお裾分けするが
うっかり、1軒でも届け忘れるとそこの家から親の仇のように
しぶとく恨まれるそうだ。
高校3年間ずっとだぞ。たまにお袋寝坊で弁当無い日は売店のパンが嬉しかった
空腹には勝てないよ
拾い食いしたことあるしお菓子貰うために嫌いな奴の言うことを聞いたりもした
タッパーに白米
その上、一面に敷き詰められた真っ赤な福神漬
泣けてくる
ドカタなんだが昼飯に家族持ちの同僚がタッパーに4合の米入れて上にウインナー3本、毎日それ食ってる、俺は380円の仕出し弁当
貧乏は現在も進行中だ
マルシンよりイシイのハンバーグ派
今でもそれと玉子焼きがあれば十分
ハンバーグとか食ってる奴は腹が立つ
プリウスのCMみたいに上から目線で見やがって
それとエビフライ!
気取ったペルシャ猫みたいに鎮座しやがって羨ましい
>>100 4合というとおらの家の炊飯器が5合炊きなんで
凄い量なんだが本当かね?
貧乏だけど色んなことに憧れるガキだった
満たされない憧れの穴埋めとして酷い虚言癖があった
GWに家族と旅行行ってトノサマガエルの卵採ってきたとか
ミヤマクワガタの幼虫持ってるぜとか
小学校中学年くらいまで悪化の一途だった
ある日突然全ての嘘が飽和状態になり急に目が覚めた
中学生くらいまではなんだかんだで嘘つく癖は残ってたが
俺も中学の時友達同士でスキーに行くという話になって、スキーなんかしたことないのに滑れる、と言ってしまったことがある。スキーには、用事があるから行けないと断ったけど。
実際には、スキーがどうこうより、金がないから行けなかったけどね。
>>103 ● 50歳以上でもオナニーしてる奴いる? 7発目 ●
名無しさん@お腹いっぱい。2023/02/02(木) 09:26:45.66 ID:rnZP0d6U
VRを見れない奴は負けだと思ってる
寒いね。
昔、練炭七輪が暖房機器の一つだった時期を思い出します。
練炭は友達には好評だった。
一気に暖めるならドライヤーでしょ
スクーターしか持ってなかった時、家に帰ってすぐドライヤーで身体暖めたよ
>>115 原チャリ乗ってた頃の冬に雨に降られて20分くらいびしょ濡れで帰った事があった
住んでたアパートはシャワーが無くて、風呂が沸くまでずっと震えながら待ってた
40年近く前のことだけどドライヤーっていう手があったか!と今思ってる
>>114 子供の頃、家の五右衛門風呂を練炭で沸かしていたのを思い出したよ。
>>118 貴様さてはエセだな
強者はドライヤーでお湯まで沸かしていたぞ
>>120 おまえこそエセだな。
弱者の俺でさえクリスマスイブに
ドライヤーでローストチキン作ったぞ。
>>117 冷蔵庫は水道水冷やすためのものだった。
>>119 それ練炭では無くてコークスでない?
>>115 布団乾燥機で温めた布団に入るの好きだった。
>>121 横からすまんが、ローストということは焦げ目もつくの?
つか、普通にコンロで作った方が燃料代安上がりな気が
貧乏な家に布団乾燥機なんて無かったよ
ひたすら天日干し
2階まで階段から上げたり下げたりお母さん大変だったろうな
>>126 ありがとうございます。
練炭は煮炊きに使うのは知って居ましたが、こういう製品が世の中に有るということを知りませんでした。
練炭のイカリでこういうのを出してたですね。
燃焼時間が練炭は長いので途中で消せるですかね?消した練炭が、また使えるとか出来ると、燃料代節約になるのでちょっと不思議に思いました。
うちは品川燃料でした。こっちは普通の練炭の他は豆炭アンカで有名ですね。
>>124 小学生でも理解できるおふざけが判らんか?
>>128 ああすまん
貧すれば鈍するの極みかと思ってしまった
お母さんの口癖
「あそこんちは金持ちだから大丈夫」
「お金もらえるから行って来な!」
そういう大人にはなるまいと決めた小5の頃
>>129 横からだが、文章の流れから行くと
貧すれば・・・は誤用の気がするんだが
水蒸気爆発しそうで怖い。原発の緊急炉心冷却みたいにならんか?
ニキビで悩んでて母に洗顔フォームとか化粧水とか買って欲しいと言ったら
「石鹸で十分!」と言われ、顔面が日野日出志の漫画みたいになった
ニキビ知らずで青春を過ごした
ニキビの人は悩んでたみたいね
こんまけわたしのニキビ、って言ってた
結婚した頃の妻のニキビは元ヤンキーズの松井選手並みに酷かったな
いつのまにかニキビが治って綺麗になっていた
三十代になれば自然治癒するのかも
就職してから20万のローン組んでフェイスエステに通って治した
>>136 とあるファニーフェイスなAV女優がけっこうなニキビ面でデビューしてたの思い出した。
そのうち綺麗になってたが。
中学生の時に酷いニキビ顔で思春期だったし本当に悩んだなぁ
親は何もしてくれなくて、ニキビで皮膚科に通ってる友達が羨ましかった
友達が同情して薬を分けてくれて嬉しかったな
その友達とは今でも付き合いあるわ
中1で「ママのお化粧水塗って寝たらツルツル♪」って言ってた子が羨ましかったな
同級生のサラサラ髪が羨ましくて聞いたらリンスなるものを使っていると
親にねだったけどもちろん買ってもらえなかった
一番欲しかったのは母親だったんだろうけど
子供の頃に人を妬んだりせず諦める事を覚えたから、大人になってから気持ちが楽だったな
子供の頃はとにかく外食に憧れてたな。
子供の頃全く外食行ったことなかったから。
そのせいか、今は松屋で牛丼食べることさえ、とてもうれしく食べてる。ほっともっとの弁当もありがたく食べてる。
うちも外食しなかったなぁ
だから一度だけ行った店とかめっちゃ記憶に残ってるよ
うちも外食なんて滅多にしなかったな
祖母の家に行く時だったか駅の立ち食いうどんは親と食べた事あるけど
あれは外食というのかな
家族でちゃんとした飲食店で食べた事は一度も無いかもしれない
おかげで今はスシローやサイゼでもワクワクできる
うちはカレーの肉の代わりに竹輪だった。
じゃがいももにんじんも玉ねぎもなく、竹輪だけ。
未だに肉の入ったカレーは嫌いです。。。
うちはクリスマスだけ外食で俺が頼んだのはチキンライス
中学の時、引っ越した家の近くにレストランが有った。
夜も煌々と明るくて、家族みんなの興味も高まって「高かったら呑みものだけ飲んで帰ろう」と決めて行った。
行ってみると、少し高いけど何とか頼めそうな料理をそれぞれ頼んだ。
美味しくて「また行こうよ」と話して帰った。
しばらくして、それがファミレスというのものだと知った。
お袋とデパートに行ってケチャップ味のチャーハン食ったのが初めての外食
伊勢屋の駐車場でやってた立ち食い蕎麦屋
かけうどんが150円でじーちゃんが買ってくれるのが嬉しかった
中学生の頃友達と立ち食いそば屋に入った。今から40年前くらい。かけそばが100円だったのを今でも覚えている。
地方都市の駅の中にあった蕎麦屋が美味かった。
高校の3年間、発車時間まで10分あれば当然のように食べていた。
着る服がなくてお母さんの借りて着てたから
いつもおばさん臭い服ばかりで友達に笑われた
見かねた友達がお下がりいっぱいくれて、それをずーっと着てた
>>155 土日は土方のアルバイトして蕎麦を食う金くらいは作ってたよ。
オマエのようにただ貧乏を嘆いてるバカとは違う。
>>157 進学校だったからバイト禁止だったんだよ
前にも書いたが
高校生の時にスーパーのバイトしてて、売れ残りのパンとか惣菜、足の早い魚を貰ってた。
食費が助かり、バイト代で人並みにモノもてるようになった。
正直、いろいろ良くして貰って。
就職の時に食品流通も考えてたくらい。
>>158 バカを否定しているのか? バイトを否定しているのか?
いずれにしても話のすり替えだなw
>>159 高一の時、学校の教室に市の中央郵便局の職員がきて年賀状アルバイト募集の説明していた。
うちは一応進学校の端くれで、何か特別な理由があって学校の許可を得てからでないとアルバイト禁止だったから、こんな学校公認バイトがあるのが珍しくてみんな挙って申し込んだ。
仕分け作業で時給500円だった。
冬休みに入ってバイトに通いだした時、地元で中学の同級生とバッタリ出会った。聞けば地元の郵便局で同じバイトしてるという。
時給550円だと言われた。
同じ作業なのに、早起きして電車乗って、歩いて行ける地元よりも安いバイトに通うのが馬鹿らしくなった。
>>162 おつかれさま!
寒い地域だったから休憩もお昼も寒くて寒くて
寒かったことしか覚えてないや
年賀状の配達バイトやったな。
元旦の日郵便局の偉いさん10人くらいが、郵便物から出発する配達バイトに拍手をして送り出すんだけど、俺だけ拍手がなかった。
>>163 そちらも寒い中お疲れ様!
いや、まさか市の中心部の方が時給が安いとは思わなんだよ
悔しくて自分の時給は言えなかった
>>162や
>>164みたいな奴が後に郵政省に入って賃上げストやったり
民営化反対を叫んで赤旗を振っていたんだよなw
>>167 的外れな想像乙
最初から民間企業に就職して今も勤め続けてますが何か?
カブで配達の人らには感心する。雨でも雪でも暴風でも来る。高速の側道で寝ているのもいるけど
消しゴムのmonoやuniは高い鉛筆をダース買いしないと手に入らないおまけだったので
買ってもらえなかった
1978〜79年頃かな、郵便配達バイトやったな時給600円
全逓組合が幅を利かせていて労使対立で局内は荒れてた
所々で罵声が飛び交ってたけど時給の良さに我慢した
鉛筆ダース買いで貰えるドリフのクビチョンパが
欲しくて欲しくてたまらなかったが
あきらめるしかなかった。
>>172 むしろウチはモノ消しゴムしか買ってもらえなかった
みんながもってた練り消しや匂いつき消しゴムを買ってもらえなかった
消しカスこねて練り消し気分で自分をごまかしてた
多分うちは貧乏ではなかったんだろうけど、親の節約生活が半端ではなくてさ
外食や旅行には行かず
子供が欲しがってるおもちゃを買ってくれない
教育にも金出さない(感心がない?)
1台しかないテレビは父親が独占していて子供向け番組やバラエティー番組は見せて貰えなかった
自分が家を出るまでビデオデッキもなかったな
友達には当たり前の事がうちでは当たり前ではなかったなぁ
両親は今、貯め込んだ金で贅沢な老後を過ごしているわ
>>176 嫌な親だね
教育に無関心っていうのは最悪
>>176 うちも似たようなものですが田舎ということも影響しているかと。
外食なんて車で30分くらい行かないとないし、
旅行なんてどこへ行くのにも時間が掛かるから考えられない、
そもそも論、進学のための塾なんてものもない。
テレビは子供3人で見ていたけど、チャンネルの奪い合いだった。
>>176 自分の場合は親が貧乏だったので老後の面倒を見たけれど、それが必要ないと前向きに考えるのもいいかも
今は両親は亡くなったし、子供達は就職しているので、貯め込んだお金は夫婦で使える
自分が育ち盛りの時も、今みたいな歳になった時も
金がないのは情けなくて嫌だな。
病気しちゃって収入減っちゃったけど
それはそれで仕方ないと思ったら気持ちが軽くなって
相応の暮らしをするのが結構楽しくなって来た
お金は欲しいけどね
>>183 そういう頭の切り替えが出来ない人っているよね
友達は親の代からやっていた会社が倒産して破産したのに、景気良かった頃と同じ生活を続けようとしていて何だか気の毒だわ
>>183 >>184 そうだよな。
収入に応じて生活レベルを切り替えることが容易に出来たら
格差だ!貧困だ!なんて大騒ぎすることもなくなるのに
生活レベルが落ちたり、周囲より収入が低いことを極端に恐れるから、収入源を絶望的に感じてしまうんだな。
極小未熟児で生まれた自分は、今にして思えば発達障害だったんだろうなと思う。
小学生の頃、誰もウチに遊びに来ない事。
我が家には、超合金もトミカも人生ゲームもオモチャ自体が無かった事。
何も気づいていなかった。
ラジコンブームの時、楽しくみんなの操縦を見ていただけだった。
ジャンプとかを読み出した友人の話がサッパリ判らなかった。
いつも一人で、菓子箱で作ったビー玉の迷路を転がして遊んでた。
ゲームもお菓子もジュースも無かったから友達呼べなかったけど
呼べなかった一番の理由は母が怖かったから
怒られるところ友達に見られたくなかった
今は結婚もして、子供も出来て家も買った。
普通の暮らしをしていると思う。
当時はよく判らなかった。
でも今思うと、当時の自分は寂しかったろうなと思う。
我慢も貧乏も判らなかった。
自分の子供を見ていると、当時の自分が何も持たなさ過ぎて、今頃になって悲しくなってくる。
俺たちが子供の頃って、物質的に恵まれたなかったな。
その原因は親の経済力につきるが、随分と我慢を強いられた
気がする。
うちは低収入だったとは思うけど、宗教にお金かけてたからそれが大きかった
>>189 モノがなければそれなりに工夫して遊ぶことを覚えたんじゃないの
ラジコンUコン買ってもらえる子は割と裕福な家の子
ビー玉の迷路とかスマートボールとか俺も良く手作りしたわ
夏になれば虫取りに夢中になったり、ザリガニ釣りやったり
うちの貧乏の理由は父親が職を転々としていたからだな
中年になってよその父親が結構稼ぐようになっても、うちの父は新入社員と大して
変わらない給料しか貰ってなかった
母親は中卒で少し知恵が足らない感じで、パートすらまともに出来なかった
おもちゃもゲームも無い子供時代
学校の図書室で借りてくる本だけが娯楽だった
>>186 幼少の頃は人の話を聞かないとかボケているとか言われたけれど原因は難聴だった
就職してからは貧乏から解放された
でも難聴は死ぬまで続く
夏休みで親の実家に帰省してる友達が羨ましかったなぁ
うちは両親が同じ地元で、そこから離れず暮らしていたからさ
長期連休でも旅行なんかしない家庭だったからずっと地元しか知らなかった
一度だけ家族で温泉旅行へ行った時の思い出が今でも忘れられないわ
あの一度だけの旅行だったから忘れないんだろうなぁ
頑固で短気で大酒飲みの親父だった。
家族旅行なんかとんでもない話で金もなく
よく俺はおふくろの質屋通いに付き合わされた。
でも、そんな親父だが一度くらい一緒に酒飲んでみたかったかな。
当時自分では普通の生活だと思ってた。
でも、今振り返ったら信じられない生活。
それでも当時はこれが普通だと思ってた。
貧乏しか知らないから貧乏は当たり前で普通だった。
うちは貧乏でかつケチだったから、誕生日プレゼント、お年玉とかはなかった。友達はお年玉でプラモデルとか買ってたから羨ましかった。友達はスキーとかにも行ってた。ただスキーはどういうものか想像できなかったので羨ましくなかった。
うちはめざしの天ぷらがご馳走だったが
このくらい書かないとわからんよ (T_T)
うちは小遣いがなかった
必要なものが欲しいとき親から金をもらってた
具体的と言われても?
自分もうすぐ還暦なんだけど小学3年生まで家は電化されてなかった
洗濯も川にたらい置いてしてたし
テレビもないし上段に氷入れる氷冷蔵庫だった
>>204 昔は氷屋さん(魚屋の副業)があって、その魚屋が各家庭に配達していた。
高校生の時に小さなレストランでバイトしたけど、
氷屋の若い兄ちゃんが配達に来ていたな。
製氷機はレストランにあったが、氷屋の氷をアイスピックで
割ったほうが形が不揃いでコーラやジュースに入れると美味しく感じるらしい。
氷屋の氷が無くなったら、仕方なく製氷機で作る氷を飲み物に入れてた。
まあ確かにウイスキーの水割りの広告とか見ると、カチ割りの氷のほうがうまそうだ。
氷屋で買うといくらするのか聞かなかったのが心残りだが、ググれば分かるか。
割れたので良ければコンビニで安価に買えるから需要は減っただろう。
氷屋は1990年代まであった
需要は夏場のかき氷や葬儀の時の飲み物冷し用に(昔は家で葬式だったから)
30cm程度で一つ500円は覚えてる
夏場村で葬式あると葬式手伝いで氷買いに行ったよ
昔はお葬式は家だったよね
組み内の人たちが集まって色々作って大変そうだった
オヤツってなんだった?
うちはパンの耳揚げてお砂糖かけたやつ
教育詐欺に引っかかりやすいのも、1つの特徴かもしれないな。
今で言えば、F欄大学に奨学金借りてまで行かせようとする親とか。
春はシマヘビとかウシガエル
食べる所は少いけどアカガエルは旨い
晩秋になると毎日イナゴの佃煮がオヤツ
サワガニとザリガニは寄生虫沢山付いてるから食うなと言われてた。
なぜか桑の実も食べるなと言われてた
こっそりヤギの乳を搾って飲むと朝出なくなるからと何時も怒鳴られたw
>>212 それ終戦直後の話だよw
うちのおふくろは南方戦線から帰還した兄が鰻を捕まえたと言って
かば焼きにして食わされたが、実は蛇だったって話。
やけに骨っぽかったって。
一番のオヤツは飯釜に残った焦げ飯に醤油混ぜおにぎり、春は梅干のタケノコ皮包み
おやつなんか出なかったので砂糖とか味噌舐めてた
カツオ節もおいしかったな
おやつはなかったから、勝手に自分で作ってた。
小麦粉を水で溶かして、フライパンで焼いて、ソースをつけて食べてた。意外にうまかった。
木苺みたいなのとかアケビとかホオズキとか食べたよね
あと花の蜜吸った
>>208 いやいや、氷屋はインターネット上の仮想世界が利用される時代まであるぞ
情報源はサマーウォーズ(をい)
クリスマスはプレゼントを買ってもらえなくておもちゃ屋のチラシを兄とケンカしながら取り合っていた
同級生にその話をするとポカーンとされたからウチだけだったんだなと大人になってから気が付いた
どうして自分の子供にそんなことできるんだろうって今では思える様な事ばっかりされてたな
クリスマスプレゼントも誕生日プレゼントももらわなかったよ。別に物はいらないけど、誕生日おめでとう、くらいは言って欲しかったな。
おかげでクリスマスも誕生日も何の感慨もない。
当然、何もしないので平素の日常生活のままです。
>>225 そんなこと今までで1度も誰からも言われたことないよ
お坊っちゃまの友達は、子供の頃から誕生日やクリスマスプレゼントを貰いまくって来たけど、自分は人に贈り物をした事がないって言ってたなぁ
俺なんて子供の頃からプレゼントなんか貰えなかったし、人にプレゼントしても返ってきた事がないわ
クリスマスプレゼントなんか親から買って貰ったことないな
うちはキリスト教じゃないからとケーキすら無いクリスマス
誕生日も毎年来るのに祝っていられるか、とかで祝われた事もない
貧乏だから子供に何か強請られたら困るという事だったんだろう
朝ご飯がイシイのハンバーグだった人いる?
毎日それだった
朝は毎日インスタントラーメンだった。
さすがに毎日だと飽きたよ。
朝御飯は、ほぼ毎日目玉焼きだったな
ハンバーグを食べるとしたら夕食で、イシイではなくマルシンだった
今の朝御飯は、ほぼ毎日目玉焼きと味噌汁
朝御飯の主食は文字通り御飯だよ
パンではなく
朝御飯は昔も今も白米と具だくさんの味噌汁
それにせいぜい佃煮や漬物程度だよ
ハンバーグはイシイやマルシンでもご馳走扱いで晩御飯だったな
母親には高校生の時にはお金無いからご飯食べないで!って言われたな
バイトしていたから何とかなったけど買ってきたものを俺にも少し分けろって父親が言ってきて嫌だって断ったらケチだな、って言うホントクズ親だった
だから今ニュースでヤングケアラーとかみると何とかして欲しいって凄く思う
親戚の稲刈り等の手伝いをして縁故米をもらっていたので、米だけは買う必要がなかった
子供の頃ステーキは食べたことなかった
ステーキを食べたのは大人になってから
>>238 自分もステーキなんて食べたことがなかったし、
焼肉もしゃぶしゃぶも。
1年ほど前、会社の女子二人から昼ご飯に誘われて
焼肉屋に行ったけど、どう焼いてどうタレとかを使って
食べればいいか分からず固まってしまった。
あれ以来、誘っても行ってくれなくなった 笑
経験って重要ですね・・・。
普通の生活してれば、いくら初めてでも目の前の網の上に肉を乗せて
焼いて食べるくらいわかるだろうに。
幼少時の貧乏ってのは常識的な想像力も働かなくなるのか?
中学の修学旅行で初めてすき焼きなるものを食べてそのうまさに感動した
食べる前に宿の人が食べ方をレクチャーしてくれた
すき焼きは牛肉だということを大人になってから知った
会社の女子二人から昼ご飯に誘われて
会社の女子二人から昼ご飯に誘われて
会社の女子二人から昼ご飯に誘われて
ふざけるな!
小学生の頃、羽振りの良い親戚が遊びに来て「ご飯奢るから、ステーキ食べに行こうよ」と近所の洋食屋に家族一同連れて行かれた。
ステーキどころか焼肉すら食べた事が無い自分は「食べない」と言った。
親戚は「子供だからハンバーグかな?」と注文してくれたけど、そんな物を見た事も聞いた事も無かったから、結局食べずに終わった。
友達の家におよばれするのが嫌だった。両親が気が利かず服装やプレゼントなど知らず辛かった
小学生の頃、金持ちの家の同級生の誕生日会に呼ばれて行ったけど、特にプレゼントとかは持って行かなかったな。本当は持っていくべきだったのかな?他の友達もみんな持ってきてなかった。
俺は肉が嫌いで社会人になるまで肉を食べなかった
嫌いになった理由は母ちゃんがクソ安い肉しか買わなくて不味かったからだと思う
社会人になって先輩が焼肉に連れて行ってくれてお肉って美味しいと初めて思った
俺は昔母ちゃんの作った飯が不味くて飯食うのが嫌いだった
米を炊けばいつもベチャベチャ、コーンスープとか言って牛乳にトウモロコシの缶詰入れて煮込んだだけとか
なので20歳のときまでは身長172cm体重は48kgしかなかった
そんな母ちゃんも晩年は料理が上手くなってたな
たまに実家に帰ると母ちゃんの飯食うのだが
当時の嫁が「あなたの好きな物ばかり出すよね」って
言われるまで気づかなかったな
母ちゃんも嫁ももういないが・・・
小学生の時、晩ご飯のおかずが目玉焼きと赤いウインナー2個の日がよくあって俺は大好きで喜んで食ってた
一度何の肉か覚えてないけど甘辛いタレがかかったバシバシに筋っぽい肉が出てきて、まあ一応食ったけど
俺は目玉焼きとウインナーの方が好きだよって言った時の母親の何とも言えない表情はずっと覚えてる
>>249 安い肉って筋ばかりだし固くて食えたものではなかったんだよ
噛んでいると食感が気持ち悪くてさ
口の中で肉を感じると吐き出すようになった
学校給食がそうだったでしょ
脂身ばっかで臭い
給食食えなくて休み時間も残されてくってましたw
ステーキ専門店でご馳走になった時、自分だけハンバーグ頼んで周りに心配された
何で苦手だったか後で分かった
豚コマとかの安い肉で臭みとかすごくて美味しくないのしか食べたことなかったから
お肉は全部そう言う味なんだと思ってたんだ
今は牛肉大好き
>>240 それがね、やったことないとどうしていいか分かんないんだよ…
うちは晩御飯に肉類が出てくる事がまず無かったな
港町だったから魚は安く手に入るから魚ばっかりで
学校給食でほぼ初めて肉を食べさせられたけど馴染めなかった
家のカレーには肉じゃなくて竹輪が入ってたよ
小学、中学と同級生だったやつがいた
そいつは人の家に無断で上がり込んでは好き放題やってみたり貶してみたりとろくでもないやつだった
親が放任してんだか放置してるんだか知らないが食事時にやってきて飯をたかりにきたりした
もちろん余分に作るわけでもないから俺の分が無くなる…
日曜の朝の8時にやってきて行きたくもない遊びに無理やり誘われたり…はっきり言って暴力的なこともされていた
そんなある日珍しくそいつはラーメンを奢ってきたんだよ。あとから空き巣して得た金で奢ったのだと知った
そいつもいつまでも同じ手段が使えないと思ったんだろう、俺に金を返せときた。ラーメンを一回か二回奢った金額がなんで3万になるのか…
学校で合うたびに胸ぐら掴まれて借金返せと言ってきた。いつの間にか借金になっていたらしい
耐えきれず6000円ほど渡したら次の日にまた3万返せと言われた。抗議したら返して貰っていないんだと。毒親とカス担任のせいでどこにも泣きつけない、あの時の苦痛は忘れない…
6000円なんて40近くになった今でも大金だよ…
何歳になっても他人を攻撃したり泥棒してまで金をほしがる奴の気持ちが分からない
欲しい物も自分で稼いで買うからありがたいし大切にできるんじゃないのか…
>>240 多分、この網の上にこれで肉を取って焼くんだろうなぁというのは
なんとなく分かったのだが、タレはどうすればいいか分からなかった。
自分の中では松屋の焼肉のタレみたいにボトルに入ったものが
なかったのでもう軽くパニックに。
二人がどう食べるのかを見てから真似て食べました。。。
>>244 得意先から貰った試供品とか柔らか高級ティッシュを上げたので
誘ってくれただけだと思う。
>>255 その通りです!
俺は就職して初めて上司に連れてってもらった焼肉屋で戸惑ったな
好きな肉頼んでいいって言われても何が何だかわかんないし
タン塩をタレにつけて食おうとして同僚に止められたり
ユッケを生で食うのに抵抗あったりレバーが臭かったりセンマイ噛みきれなかったり
あと、初めてロイヤルホストに連れてかれた時も
ナイフとフォークが上手く使えないの見られたくなくてジャワビーフカレーを頼んだら
ライスとは別に銀色の器にカレーが入ってて別の緊張が生まれた
家は貧乏だったけど肉には不自由したことがない。村中の人が常にイノシシやシカ肉持って来るからイノシシとシカ肉だけは豊富
でも俺はシカ肉よりイノシシ肉がいい
子供の頃、ラーメン屋は行ってみたかったな
大人になってはじめてラーメン屋行ったけど、子供の時に行ってみたかった
会社の社長が夕飯をおごってくれることになり、好きのものを
頼めと言ってくれたので焼き飯と言ったら、そんなのでええんかと
笑われた。
>>249 脂身だらけの肉と言えない肉(異常に安いウインナーがこれ)
を食わされてると本当に嫌いになる
会社に入りたての頃みんなでホテルで夕食食べる時ナイフとフォークが出てきて焦った。子供の頃全くナイフとフォーク使ったことがなかったから。今でもナイフとフォークは苦手
今でもファミレスでグリル系のメニュー食べる時は
まずナイフとフォークで食べやすい大きさに切って
あとはフォークだけでライスとおかずを食べ進めていく
>>270 ナイフフォークの使い方もまともに習ってこなかった貧乏育ちだからな
>>269 おま俺、仲間だ。
よくわかんなくて、私は更にポタージュのディッシュボールを自分の分と確認したあとは、お椀と同じ扱いで口付けて頂いてました。
インド人経営の店でカレーを頼んだら
スプーンが付いてないので、さすが本場は違うわと
手づかみで食べる話が好きw
後で店員が
申し訳なさそうに
スプーンを持ってくるまでがデフォ
中国の地元民向けレストランに行ったら
水のコップの中に小バエが入っていた
さすが中国とみんなで笑って、スプーンで小バエを取っていたら
店の人が慌てて出てきて、コップとスプーンを交換してくれた
小バエはデフォではなかった
あたし、ユッケはずっとネギトロに卵の黄身乗せたやつだと思って食べてた
なんか変な味のするネギトロだなって思いながら何度も食べた
カレーライス頼むと、水がはいったコップにスプーン入れて持ってくる店あるけど、あれって水は飲んでいいの?
>>268 下等動物のカニですら自前のナイフとフォークで上品に食べてるぞ。
水槽で飼育してて思った。
「負けた・・・」
とww
てか、あいつら、上流階級の社交界で十分通用するナイフフォーク
(実際はハサミだがw)さばきだぞ。
ドブで拾ってきたザリガニだって、似たようなものだった。
朝食が30分遅れるだけで共食いを始めちゃうけど、その場においても、
ちゃんとナプキンを付けて、丁寧なテーブルマナーを守って食べてるぞ。
あいつら何気に上流階級の生物なんだな。
>>260 会社では素直に貧困育ちという事を伝えればいい。
本人さえしっかりしていれば、悪いようにはされない。
俺はそれで上司や先輩が気を遣って奢ってくれようとするのを
必死に遠慮して食い止めている。
社内結婚した時も披露宴で、親父面、兄貴面して嬉し涙してくれたw
>>278 最近見たことないけど、今でもあるのそんな店?
あれは飲む水だろう
フィンガーボール飲んじゃダメだよ
かに道楽で、隣の席の子供がフィンガーボールに指突っ込んでたら、
母親が「何やってんのアンタ!」ってひっぱたいてたよ。
子供は戸惑った表情で「え?いいんだよ」って主張してたが無視されてた。
可愛そうな子供w
ステーキの焼き加減位は何となく判る。
でも、初めて女の子と食事に行く事になってイタリアンレストランに連れて行かれた時は焦った。
もう何も判らない。
「魚介系苦手なんだけど…」と言ったら、彼女に「じゃあ○○にしたら?」と言われ「じゃ、それにする」で誤魔化した。
いまだに、その時に何を食べたか記憶に無い。
食事って経験が大事だよね
高校生の時、彼に生まれて初めてイタリアンレストランに連れてってもらってパスタランチ食べたんだけど
もう手が震えちゃってカチャカチャ言っちゃって恥ずかしかった
ペスカトーレ頼んだけど全然美味しくなかった
ナポリタンが良かった
ナポリタンはケチャップが撥ねるからペンネがいいよ、って今なら思うよね
子供に興味がなくて知識や経験を与えなかったのか、単純にお金が無かったのかでも違ってくると思う
うちは前者だから自己評価が凄く低くて苦労してるよ直らないもんだね
>>284 うちは後者だけど、自己評価は低い
自分は今は「心は豊かに!」をモットーに生きておる
だけど時々挫けそうになる
動画で「自己肯定感を高めるには」とか何度も観てる
前にも書いたけど、私立高校はもちろん公立高校の入試も終わった卒業式までの間に、三年生全員で地元の老舗ホテルにテーブルマナー講習会で学校から連れてってもらえたけど、意外と珍しいことだったんだな
もちろん公立中学校の話
>>284 自分の知識と仮想経験は本から学んだな
幼少の頃に父が亡くなったので父から学んだことは零に近い
当時は分からなかったが、子持ちになってから、父が生きていたら色々と学べたなと思うようになった
>>256 若い頃に喫茶店でバイトして、焼き飯やナポリタンの作り方を覚えた。
いろいろと研究してみて最高にうまい焼き飯は、
具材が「玉ねぎ・玉子・竹輪」のみがベストだと思う。
味付けには凝るけどね。
・EXVオリーブオイル
・ハウス香りソルト・イタリアンハーブミックス
・ホットソース(タバスコでも可)
・コショー
・醤油少々
・シマヤだしの素
>>289 竹輪なのか
ピーマンとかベーコンのイメージだった
>>290 喫茶店ならね。
竹輪は独自研究でたどり着いた。
自分の小さい頃に両親が離婚危機にあって母がしばらく家を出て行った
父はいつも焼き飯ばかり作ってたな
今は妻が作ってくれるチャーハンが美味しい
具については自家製焼き豚入りだと最高
ばあちゃんが給食のおばちゃんやってて、その頃は余ったカレーを持って帰れたんだよね
大量に持ってきてくれて美味しくて嬉しかった
給食でソフト麺が出るとうれしかった
家の食事より給食の方がうまかった
ソフト麺が美味しかったと言う人が多いけど、私はクソ不味くて嫌だったなぁ
給食は全て不味かった
給食といえば、同じ皿に食パンとサラダが盛られて、
サラダの汁がパンにしみこむのが嫌だった
ソフト麺というより、それにかけるシチューやカレーや中華餡が美味しかったのでは?
唯一苦手だったのが煮豆入りのヒジキだったね
今は大好き
給食で生き延びていた感はある
制度を考えてくれた人ありがとう作ってくれてた人ありがとう
うちの学校の給食はソフト麺はミートソースで食ってた
ミートソース食ったのは給食が初めてだった
市販の粉末ケチャップで炒め和えするスパゲッティも中学まで食ったこと無かった
給食のミートソースはグリーン豆?入ってたよね?
あれいらないよねぇ?
ミートソースのグリーンピース、固かった記憶しかない
シューマイの上に載ってるグリーンピースが好きだった。
最近、あまり見なくてさみいしな。
知り合いでグリンピース嫌いな奴がいた
なぜかは知らない
>>304 ミートソースに限らずカレーシチュー八宝菜なんでもグリーンピース入ってた
同じ班の偏食激しいやつがよけたグリーンピースが俺の皿に集められるので
グリーンピース満載の給食だった
給食費免除だったけど
>>253 おれもそうだった。そもそも肉がきらいなんだけど、おばちゃんの先生でむりやり食わされた。
何度も吐きそうになりながらすこしずつ飲み込んでたよ。
無理やり食わされても好き嫌いなんて無くなりゃしないよ。
>>307 友だちにえんどう豆は好きだけどグリーンピースは嫌いという人がいる
同じじゃないのと聞いても違うらしく理解出来なかった
>>310 熟度の違いかもな
固さや味が変わってくるし
単品ではなく、使われている料理の違いで好き嫌いになったかも
>>311 豆ご飯はえんどう豆
焼売の上はグリーンピース
ってところかね
えんどう豆の方が柔らかくて甘味もあって旨いね
お米を食べよう!みたいなキャンペーンやってる割に
給食は週に2回だけご飯で、後はパンだったんだよな
全部ご飯にすりゃーいいのにと当時思ったんだけど
パンの方が作る方は楽なのかね
>>313 こっちは小学校卒業までパンだけだったよ(中学校は弁当)
給食センター方式だったけど、炊飯設備を作るの金がなかったらしい
何で給食がパンから始まったかと言えば、占領軍が痩せ衰えた日本の子供達に、海外から救援物資として届いた材料を元にパンと脱脂粉乳を給食として与えるよう指示したからでしょ
それがずっと続いてきたのは、大規模な設備だとパン焼きオーブンの方が炊飯器より導入しやすかったらしい
そういうことですか!
確かに新たに炊飯器ってなったらお金もかかるし場所も取るし…だよね
ご飯の日は嬉しかったなぁ
パンは揚げパンの日は一日中幸せだった!
「パンは一口ずつ手で千切って食べましょう」って言われたけどうちのクラスだけな様な
>>315 揚げパンうらやましい
うちの市は揚げパンで食中毒が出たって理由で小2の途中で出なくなってしまったよ
美味しかったからすごく残念だった
米飯給食は年に一回だった
げろまず脱脂粉乳は小2まで
給食でカレーライスが出るとうれしかった
すごくうまかった
>>317 米飯給食と脱脂粉乳の両方経験してるってたぶん珍しいね
こっちは米飯給食導入前に卒業したけど牛乳は最初から普通の牛乳で、瓶から途中でプラスチックのテトラパックに変わったよ
穴はなかったので給食にハサミは必需品だった
小学校6年まで脱脂粉乳、中学は3年間弁当持ち。
教科書は最期まで有償。俺たちの下から無償配布だった。
中学校まで給食ある地域だったけどご飯給食が出てきたのが中学以降で
小学校の頃はパンばっかりだった
給食自体は有難かったとはいえ、あのパン不味かったなあ
貧乏な割に運動会のお弁当は大満足だった
唐揚げ、おにぎり、お稲荷さん、梨、栗…
親戚一同で集まったから賑やかで楽しかったなぁ!
うちは最初の頃どうだったか覚えてないけど、気がついたら教室戻って給食だったわ
>>322 今考えると、家族が運動会に来て弁当持ってきてくるならいいけど、弁当を持ってきてもらう人がいない子とかはどうしてたのかな?
>>324 そういう事で運動会でも給食になったんだが。
>>325 その前に近所なんだから他の親がその子の分の弁当も作ってきて食べさせてあげてたでしょ、そんな時代だった
うちは田舎で親父は貧乏公務員だったから地元の名士が陣取ってるエリアにいて
そこの奥さんが大量に料理を持ってきていたのを食べてた
小学校の運動会は地元の人にとっては花見に匹敵する宴会場だった記憶
>小学校の運動会は地元の人にとっては花見に匹敵する宴会場だった記憶
うちの田舎は当時まさに「運動会と花見が一緒に楽しめる」ところだった
でも今は桜が早くなってあわなくなってしまった…
>>324 親の来てない子達は朝から弁当持参で先生と同じシートで食べてたような気が
貧しい家の子とか片親の子とか共働きの家の子にとっては
地獄のような運動会だったのではないでしょうか。
>>329 そういう子は一緒に食べるよう誘ってたと思うよ
今と違ってコミュニティーが密だったし
誰かに言われるまでもなく、さりげなく保護者が目を光らせてて、独りで食わせるなんてことはしなかった
私がいた小学校は全校生徒1200名でした。
近所の同級生の面倒を見るなどは限られていたと思います。
都市近郊と地方の差は大きいですね。
運動会は一大行事であった。従妹家族と一緒に場所とりをして
弁当は巻き寿司、煮物、卵焼きが定番だった。親父連中は酒盛りして
酔っぱらって盛り上がり、懐かしい時代で心にいつまでも残ってるよ。
>>285 昭和は食えれば良いの時代だからな。
その頃から少しずつ格差はあるのだが
時代が進むと歴然とするな。
ガチャとか言うけどあるよね。
昔風に言えば、運だよな。
自分が通ってた小学校の運動会もお祭りのようだったな
テキ屋も出てたしお父さんは一升瓶持ち込んで応援
>>329みたいな家庭の子は先生と一緒に食べてたな
>>330 なんか、優しさがあったよな。
人と話ししてても安心して話せるみたいな。
令和5年現在、56歳男だけど昭和は捨てられない。
自分が子どもを持つようになり通わせていた小学校の運動会のお昼は
親とは一緒に食べずに子どもたちは教室で食べてた
かけっこでは順位を付けないし何それ?って感じ
革新系が牛耳る自治体はほんとアホくさいと思ったな
ほどなく地方に引っ越したら昔ながらの運動会でほっとした
塩コショウに一味唐辛子少し椎茸薄切り2個分
仕上げにバターと醤油少し千切りキャベツ一掴みの上しんなりしたら出来上がり
シャンプーとリンスは親と共用でメリットだった
今の子は自分専用でお洒落なの使うよね
奨学金を高校で借りているのが自分ひとりで恥ずかしかったな
>>335 読んでくれてありがとう
・EXVオリーブオイル……「調理に使うので適量」
・ハウス香りソルト・イタリアンハーブミックス……「塩分を含むのでお好みで」
・ホットソース(タバスコ可)……「沢山入れると旨いが胃に悪いのでお好みで」
・コショー……「たっぷり振りかけてOK」
・醤油少々
・シマヤだしの素……「化学調味料でも可、量はお好みで」
コツはスパイシーに作ることで、
コショーはこれでもかというくらい振っています
ホットソースも利かせるといいんだけれど胃腸が弱い人には勧めません
ハウスのイタリアンハーブ香りソルトは少々お高いが、
クレイジーソルトや業務スーパーのイタリアンハーブソルトより味が良いです
材料は「2人前」だと、玉ねぎ1/4個・玉子1/2個・竹輪1本です
驚くほど材料費が抑えられるのはスパイシーだからで、
小さいお子様に食べさせるのは無理でしょうね
>>343 そうだよな
貧乏人ならシャンプーなんか使わずに石鹸で洗って欲しいよな
風呂は毎日入って洗髪は1日おきだったが
やたらフケが出た。
でも二十歳過ぎたらピタッと止まった。
>>340 うちも小3の頃にシャンプーが導入された時はメリットだった
ほんとはピンクレディーがCMやってたシャワランが良かったけど言い出せなかった
小4のある朝に友達が頭の匂いを嗅がせて「俺、昨夜シャンプーで頭洗ったんやで」ってドヤ顔で言ってきたので
俺はもうずっとシャンプーだよと返したら火がついたように怒ってギャン泣きし出して朝の会もずっと泣いてた
先生が事情を聞いたのでそのまま話したらもっと激しく泣き出した
小学校の時にフケが酷くて虐められていた女の子がいたなぁ
頭洗うの3日に1回だって友達に言ったらめっちゃ驚かれて
絶対毎日洗った方がいい!と説得された
俺んちは牛乳石鹸の赤いシャンプーだった
早見優の恋コロンシャンプーが使いたかった
でも身体は石鹸で亀の子だわしで洗ってたわ
お風呂に便所コオロギが沢山いるから嫌で嫌で仕方なかった
実家の風呂はボロくて窓は木枠で隙間風も入ってきてた
シャワーなんて付いてないし手桶も無いから洗面器でちまちまお湯使うのみ
冬は湯船出たら一気に冷えるから風呂自体が嫌だったな
うちは灯油ボイラーだった。バーナーじゃなくて灯芯に火つける感じ。シャワーあるのは親父が2回目に建てた家から
うちもカマドウマだったけど、結構通じないこと多くて。
あの虫未だに大大大の苦手!
とは言っても、今時カマドウマってもう滅多にお目にかかれない気が
ちょっと古い家で、ちょっとあったかくて、ちょっと湿気があるともう…
いなくてもいる様な気がしてならない
ハエ・カも見なくなった。ハエ取り紙も渦巻香取線香も見なくなる。
蚊取線香たくさん余ってる
他に良い使い道は無いものか
夏になると、普通に蚊とか小バエとかが飛んでいる
でもウジは見ないな
生ゴミは畑に埋めているので
カマドウマはもうみなくなったけど、ハエもカもコバエもゴキブリも毎年悩まされてるよ
>>338 順位を付けなくしても、社会に出たら否応なしに
競争させられるのにね。
勉強ができなくても足が速いだけで運動会ではヒーローになれる
そういうことも大事だと思うけどな
そうそう!
貧乏だって持ち味を活かして楽しく過ごすんだ!
貧乏の持ち味って無いような気がする
せいぜい節約精神くらいだけれど、貧乏で無くても節約する人は節約するし
運動神経は鈍かったから学問関係でしかヒーローを狙えない
うちは都内に住んでいたけど、
風呂なし、共同トイレ。
高校の学費を親が払えないと言うので、
全日を諦めて昼間バイトして夜は定時制高校。
都内でもバイトは時給650円だったから、
学校が休みの日は積極的に残業しても月/8万くらい。
よくやったと思う。
>>368 得手不得手があっても、それもまた個性であり
長所だからね。
運動会で足が速いって、一気にヒーロー扱いになる。
貧乏人の子だから頭が悪いという訳じゃない。
頭の悪い金持ちの子もいるし、足が遅い貧乏人の子もいる。
運動会の成績に関しては貧富の差はないだろう。
>>372 よく頑張ったと思う。
アリとキリギリスのアリさんになっていたと思う。
定時制でも出れば高卒資格あるから先に進める。
後に資格取りたくて大学にも直ぐに行けるし、就職の応募資格もそもそもが高卒以上が普通だった。
そこが解らなくても、バブル期の底上げでなんとかなった人間力ある人は良かったが
不景気に転職繰り返す人で、履歴書書くたびに凹んでいた人もいた。
転職するたびに名刺の役職が上がる奴がいたけど
それに比例して会社が小さくなっていったようだ
小学生時代転校を繰り返し、行く先々で女の子達に毎日ストーカーされた事、 毎日どうやってまくか苦労した。
親父も自分の小学校時代に早く死に親戚の家に預けられた。 親戚の子達は英語を習い始めてるのに自分はのけ者みたいで嫌だった。 でも兄のお下がりの英語の教科書があったので自習である程度覚えて驚かれた。
当時兄は高校の寮、お袋は住み込みで働き家族バラバラの生活だった。
どこかに養子に行かないかという話までされたが小学生にはわかるわけもなくただ嫌だ言っただけ。
兄貴が大学を諦めて勤め始めてから家庭は楽になった。 おかげで自分は大学にも行けた。
兄の子は東大はじめ出来の良い子達。 自分の子達も医者が2人。 貧乏が自分の世代で途絶えたのはよかった。
いいな
俺は今でも不安定だ
俺は上場企業にいるし、子供も世界的に有名な上場企業に入った
だが所詮はリーマン、経営者の胸三寸で決まる雇われ人だ
なんか、下請けとかを搾取して自分の給与が余所より
ちょっとだけ良いだけだから自慢も出来ない
人生やり直すならたこ焼き屋やりたい
どんな規模でもいいから一度位社長やってみたいな
昔貧乏だった家庭の子供は今でも貧乏
貧乏人の立身出世なんて物語の中だけの話しな
>>380 立身出世は無理でも、世間並みになっている人は多いのでは
就職して真っ当に働けば少なくとも貧乏ではなくなる
自分の場合は母子家庭だったから貧乏になっただけで
就職した時点で母親の収入を上回り貧乏ではなくなった
俺らの世代は高卒でも一部上場に難なく入れたから
頑張って勤めれば人並みの生活はできただろ?
就職した時点で貧乏脱出だよな
30代で家を建て子供たちにも不自由させないで大学出してさ
もう還暦だから仕事もセーブして孫の相手が一番楽しいわ
昔は多くの人が貧しかったからここでいう貧乏って赤貧のことだろ
赤貧もレベル違いはあるが
貧乏かバカが高卒だったな。
ちな丙午で高卒就職。
ただバブル期開始で残業しまくり、お金たくさん貰えて
後の種銭にしたな。
バブルの頃の会社の厚生旅行は海外も多かった。地方の中堅でもハワイに行っていた。
俺の妻だけど。俺は日本から出たことが無い。
バブルの時、社員旅行で初めて女体盛りを経験しワカメ酒をすすりました。
福井の某温泉です。
>>378 下手な社長なんかよりリーマンの方が数倍社長より良いぞ。
自分は50代で転職の自信もなかったから、会社を作ったが殆どは社員に給与を出すための借金ばかり、ガンになって会社を閉めた時には、借金だけが残ってた。
トータル数千万は損した感じだったな。
仕事がまともにあれば良いが、二次下請け禁止令なんか出されて大手からの仕事が急に入らなくなったり、別の会社の友達に営業をやってもらってそこそこ仕事が入ってても、そいつが癌でなくなるとばったり仕事がなくなった。
そもそもうちが貧乏になったのは、親父が自営業の鐵工所をやってて普通以上の生活を過ごしてたが、他人の連帯保証人になったために身包み剥がされ、夜逃げ同然で他県に逃げた。
親戚はうちが面倒見るというからそこを頼って行ったが何もしてくれずに屋台の飲み屋を始めた。 しかし自分が飲み過ぎて癌になって死んでしまった。
親父が病院に入院中は、いつも親父が食べ残した病院食を俺が食って過ごしてた時もある。
兄が高卒で銀行に入ってから本当に生活が変わった。
昔は高卒で銀行に入れた時代があったのに、今の人達から見ると信じられないようだ。
高度成長時代には日本人のほとんどが貧乏から抜け出し皆んな同じような生活が送れるようになった。
頭が良ければ貧乏から抜け出せるのは間違いない。だから今の塾の大流行になってる。
戦後は赤犬がうまいなんて話を聞いてたが、実際に食べてた人は知らない。
自分の家は鶏を育てて卵をとり成長したら絞めてた。
幼稚園時代の自分は立ち会わせてもらえなかった。
スズメは今でも食べられてるが屋台では定番だった。
山に行っては霞網で渡り鳥を捕獲して売ったり食べたりしてた。 霞網は禁止されても一向になくならなかった。
>>389 温泉旅行と言えば、ストリッパーを呼ぶのが定番だったな。
ビール瓶を咥え込んで踊っても落ちないのは不思議だった。
>>393 今の時代の塾は親の見栄次第で内容が決まります。
金持ちはそろばん教室やバレイやピアノと、伝手を頼って個人教師頼んだりしてますね。
>>394 よくゆで卵股から産まさせて股の下で口を開け口の中へポッとん。
ワカメ酒は脚を閉じて股で盃作って酒を注ぎ、陰毛がまるでワカメのように
懐かしい~な~
中には女子社員に金やって部屋でやった強者も
>>378 安全、安心、石橋を叩く人生もあるし
乗るか、反るか、一発逆転の人生もある。
両方の人を見てきたけど運は平等だなと思う。
幸せの感じ方はそれぞれ。片方は安定があるが生き甲斐がないと。
片方はビジネスを楽しんでる。共に60代。
ああいう大人に私はなりたい。
パン工場で廃棄のパンの耳を袋いっぱい貰ってくるは当たり前だった
線路につくしを取りに行ったりどこかの山でタケノコ掘ったり
貯金は出来たけど今だに貧乏生活が身に染みて贅沢は出来ない
>>385 どうでもいいことだが
妻が丙午であることを思い出した
娘は蠍座の女だし
小学生の時に一家で夜逃げして半年くらい学校へ行けなかった頃が一番貧しかったかな~
小学校の時に引っ越し前の学校では黒い兵児帯で真泳いでたが引っ越し先の学校のプールでは全員海パンで恥ずかしかった。 何ヶ月かへこ帯を使ってた、
へこ帯ってわからない人が多いだろうな。 紐パンみたいにSiriのところは紐みたいで前だけ三角巾で覆い紐で締める。
女性のTバックのバック部分が全く1本の紐でできてる。
兵児帯って一般的には子供がする金魚の尻尾みたいな帯だぞ?
あまり追及するな。スレを盛り上げる為に協力してくれてるんだから。
>>403 逆に、大人になってお金持ってる気分になっちゃって
分不相応な買い物しちゃって見栄張っちゃって大後悔
今は身の程を知る素晴らしさを実感してる
お金の使い方が世間並みになったのは結婚してからだな
それまで電子レンジとかが無かった
>>407 戦後だよ。 プールが小学校にできる前、海で泳いでた時はほとんどがヘコだった。
プールができ始めてから変わっていったんだよ
これは6尺褌だが、
子供用は黒色で紐の部分と尻の部分が本当に1本の細い紐
そう言えばキンツリとも言ってたな。
Wiki
黒猫褌
戦前の水泳の授業などで使われた子供用の水褌(水着としての褌)。広島県、長崎県では「キンツリ」、「三角兵子」と呼ばれる。畚(もっこ)褌の一種でTバックになる。
国民皆泳が叫ばれ水泳が学校の教科として取り上げられたことで、幼児〜小学生用の水着として全国に普及し、昭和30年代頃まで各地で散見されていた。
黒猫褌という名前でYahoo shoppingなどで今でも販売されている
日本昔ばなしだと貧乏だけど勤勉で正直者は良いことがあるが
残念なことに貧乏と頭悪いのとだらしないのはセット
自分の知る範囲内だけど
>>418 親の頭か要領か運が悪いと子供の内は貧乏。
一定の年齢以上は運命のコントロール出来るので自己責任。
底辺の工業高校卒だけど、バブル前に会社に入り、可愛がって貰って、ほぼ滅私奉公状態で働いて叩き上げと言ってもらえるようなった辺りで世間並みのお給料貰えていることに気付いた。
もう貧乏はしたくなく子供にもさせたくなくて家内の協力の下で教育費は確保した生活にしていた。
既に子供も社会人になってるけど、ゲームとテレビと学歴は与えられていたのが誇り。
>>419 バブルという運命に流されてきただけじゃない
バブルがなかったら
母子家庭で育ったけど、もし来世があるなら、次は母子家庭は嫌だ。
>>416 戦後といっても国民皆貧乏からは抜け出しつつある時代だよ。
朝鮮戦争景気に経済は活発に動いてた。
うちが夜逃げする前には、トラックを2台持ってコンクリ用の川砂を運んでた。 デパートとか新築されてた。
一晩で夜逃げする不幸に見舞われどん底に堕ち、屋台を引いて食うだけ。 それでも親父が生きてるうちは良かったが、俺が小学5年の時に死んで、母子家庭、生活保護、一家バラバラ。
親戚の家に俺が預けられてた時は小学校低学年のその家の子は英語塾に行ってたし、世の中は全然貧乏なんかではなかった。
毎年学年が変わるごとに小学校を変わってた。
でもなぜか知らないが小学校時代知能テストでは県で1番だった。 普通は公表されないが先生たちが驚いて教えてくれた。
中学3年の時には試しに通信教育の模試を受けてみたら、全国全ての高校に無条件で合格できるというお墨付きをもらった。 だから塾とかいったことはない。
(但し高3の時には優秀な塾で勉強したかったが出来なかった。その悔しさを子供にはさせないようにして子供の教育費だけは惜しまなかった)
小学校時代は先生達の家に呼ばれて採点の手伝いをやらされたりしてた。 どんな生活をしてるのか不思議だったんだろう。
中学校では生徒会長、高校2年では生徒会書記
他様々な部活動の部長。
兄も頭が良かった、すでに全国レベルのトップレベルの高校に入ってたし、寮があったから家族バラバラ時代には寮で暮らしてた。高3くらいになると家族の住む県のトップ高に転校したがそこでも寮生活。
大学を諦めても運良く銀行に入れたことから生活も一変し始めた、 片親で銀行とかなかなか信用してもらえないが。
どんなに貧乏になろうが生きていけるだろうという変な感覚だけは身についた(自分で生活費を稼いでたわけでもなんでもないが。)
自分が結婚相手を選ぶ時に言った言葉がある。 リヤカーの屋台を引いて生活する様なことがあってもついて来れるか?
直ぐについていくという返事が来たから結婚した。
後で解ったが結構な資産家の娘だった。 親が許したのは自分が生徒会長をやったりしてたことで信じたらしい。
彼女の両親ともに先生だったからそういうのに弱かったんだろう。
自分は国立1期には落ちて2期校ではあったが、彼女の見方では俺が身近な全国トップレベルの超進学校に合格してたことの方が身近な凄い人と感じてたらしい。
実際には一人暮らしをしながら通うだけの金がなかったから行かなかったが。 そこを受験したのも行くつもりはなく友達が心細いから一緒に受験してくれと頼まれたから腕試しに受けただけ。
まあ3行以上はメンドいので余程のことがないと読まないけどな
>>421 同感
でも、父自身は30代で亡くなるとは思っていなかっただろうから、母子家庭は嫌だったけれど仕方がない
1期、2期校なんて久しぶりに聞いたけど、その当時は貧乏家庭だと国立しか行けなくて
第一志望は1期校、そこがダメなら2期校に行ってた。
2期校にも入れないのが仕方なく私立に行くんだけど、金が無けりゃ私立にすらいけない。
私立は今と違って、おバカの放蕩息子が行くイメージだった。
【タクシー暴走事故】 海外では希、日本だけ多発中
://2chb.net/r/traf/1577003763/l50
>>420 バブルは時期を示していたが、確かにバブルで持ち上げられた処は否めない。
工員というか、実務者だったので人員整理あれば真っ先に切られる側だが、たぶん指名解雇でも無ければ辞めなかったろうな。
別に無理して難しそうな言葉で語ろうとしなくてもええんやで
みかん箱を机がわりにして勉強してたな、天気の良い日は川沿いのテント付きのテーブルで勉強してた。
外で勉強してると必ずと言って良いほどクラスメートが勉強を教えてくれと言って宿題を持ってきた。
みかん箱は便利だったね。
タンスの代わりに服、本棚の代わりに本…
高校時代にバイト代で初めてカラーボックスを買ったときはうれしかった。
漫画のネタでみかん箱が出てくるけれど
そんなにメジャーだったのか
何かの台を机にして、あぐらをかいて勉強していた記憶がある
電気止められて毎月3日から一週間くらいロウソク生活だった
うちは電気止められても堀井戸だったし炭炬燵だったから、明かりが無いくらいの不便さ
当時電気なんて明かりくらいでたかが知れた電気代だったと思うけど、それを止められるってw
家の貧乏もギネス級だったことに驚き
貧乏性水呑百姓だったけど、芋や麦は腹一杯食えたからひもじい思いだけはしなかった。
出稼ぎ行った親父がちゃんと仕送りしてくれればこんな貧乏な生活しなくても良かったと、おふくろがよくぼやいてた。
地下水汲み上げってポンプが電気だと停電で水も出ないから死亡フラグがたつ
昔のみかん箱は木製だったよ。りんご箱より小さかった。
荒い木だからトゲが刺さりそう
段ボールのミカン箱は丈夫なので引っ越し間に合わせのテーブル代わりに使ったな
昔のみかんって美味くなかったな
今はスーパーで売ってるのはブランド品だからうまいよ
トウモロコシが顕著だったでしょ
家畜用にズタ袋一杯で500円で売ってた
ハニーバンタムなんて高級品だったな
>>425 ただの読んで損する自虐風自慢の自分語りか
長文にありがち
甘平やせとかもいいけど、自分はあっさり味の麗紅が今のお気に入り
>>455 こないだ久々に八朔を食べた
薄皮剥いてると手がびちょびちょになって、食べると凄い汁気が多かった
昔の八朔はこんなに水分多くなかったと言ったらブランドの違いだと妻が教えてくれた
後日買ってきてくれた八朔は水分少なめだったけど
やっぱり昔のやつはもっとバサバサで甘くなかったなあと思うと同時に
隙間風吹く部屋でかじかむ手を櫓炬燵で温めながら食ってた風景を思い出した
八朔は酸っぱくて苦手
剥くのも大変でいつもおばあちゃんにお願いして剥いてもらったっけ
酸っぱくて少ししか食べなかったけど
子供の頃、指に傷なんかある時に八朔を食べると、
傷に沁みて痛いんだか酸っぱいんだか判らなかった。
みかん箱はこんなの、頑丈で良かったよ。
今だったらみかん箱は使い終わったら、研いてニス塗って再利用するかな。
貧乏性は抜けたいが抜けないのです。
みかん箱など積んで本箱にしていたな。ワイン箱なんか最高だった。
家は普通に机あったよ知り合いからもらってきたみたいだけど
>>470 どこの玩具メーカーだろう
バンダイの猫の手以来のヒットを狙える商品だわ
ミカン箱から手を伸ばす猫とは、誰もが考えられそうでいて
まだ誰も商品開発してないんじゃね?
他のパターンなら、いくらでもあるけど
いたずらBANKシリーズのメーカーはシャイン
どこで買ったか忘れた
ヴィレッジバンガードだったかもしれない
今では生活に役立たないものを買えるような金持ちになれたなぁ(違)
いいなーお金持ち!
子供の頃よりはいいけど、今もカツカツ
はーあ
子供の頃はラーメン屋でラーメン食べることも一切なかった。大人になって思うのは月に一度くらいは絶対にラーメン屋くらいは行けたということ。大人になって食べてもしょうがないんだよ。子供の頃食べたかった。
うちも外食しなかったなぁ
近所のくるまやラーメンに連れて行ってもらった記憶しかない
友達がレストランでステーキやハンバーグを食べたって話を聞いて親が大金持ちなのかと思ってたもん
大体ステーキなんて社会人になるまで見たこともなかったわ
ただ、親戚にお寿司屋さんがいたのでちゃんとしたお寿司を年に一度くらい食べさせてもらってたんだよなぁ
田舎なので近所にラーメン屋なんて無かったから
うちは袋麺のちび六とか出前一丁を食べていた。
あと記憶が定かでは無いけど、麺が緑色の
ヤクルトラーメン的な名前のものがあったような・・・。
>>477 ヤクルトラーメン(クロレラ入り)
意外と美味かった
中華そばはおふくろさんが友達来ると出前とってたな
俺の分がなくてさ 悲しかった
子供の頃、チャルメラとか長崎タンメン、アラビヤン焼きそばなどを食べてた時、
友だちの家に遊びに行ったら農協ラーメンなるものを振る舞われて戸惑った。
>>480 従兄弟の家で農協ラーメン、まとめて買っていたみたいで
食べたことあるよ。
農家だから流通ルートが一部、違ってたりするんだよね。
>>483 私は従姉妹の毛糸のパンツまでお下がりだった。
このスレだっけか
男の子なのに女物のおさがりパンツをあてがわれた話
子供の頃、出前一丁の麺をご飯に乗っけて食べるのが好きだった。
スープがご飯に染みて、美味しさ倍増な感じがした。
結婚してから袋麺を食べる機会が激減した。
平日休みで子供も嫁もいない一人のお昼ご飯の時、無性に食べたくなってスーパーで買って食べてる。
もう親になってしまったけど、出前一丁オンザライスで食べてると、幼い自分と両親とご飯を食べてた記憶が蘇る。貧乏だったのに、幸せな記憶として残っている。
俺も袋麺でラーメンライスを今でもこっそりやる
一昨年体調崩して入院した時に同部屋になった同年代の人は冷やご飯ならなお良しって言ってた
妻に見つかって「バカじゃないの?」ってたしなめられたりするけど
土曜のお昼の思い出の味は不定期で無性に食べたくなる
>>492 幾ら金積んでも出来ない事もあるよな。
どんなに高くて良い物にも代えられない物あるよな。
俺も、貴殿と似た感覚を感じる。金には困っていないけど
何かが足りないと思っている。今晩は出前一丁オンザライスにする。
教えてくれてありがとう。
俺、本中華
大鍋に入ってるのをちゃぶ台の上に置いて親子4人で食べた
伊丹十三の映画でチャーハンを親子で食べるシーンがあったがまさにそんな感じ
>>484 俺は、水泳パンツが3歳上に兄のおさがりだった。
水着はまあ・・・な
許せる範疇だな
姪っ子が母親おさがりの水着着てて可愛いかった
>>493 無印でほぼ同じラーメン売ってる。
残業のときにマグカップに1個入れて食うのが癒しだ。
>>502 特に女の子のきょうだいだと水着もアリかもね。
俺は兄がいたから、体操着でお下がりがあった。
2学年違いで体格も似てたから、使い回せたのかも。
>>502 肌に直接付けるものだから、俺は抵抗して新しい海パンを買ってもらったことがあったよ。
体操服なら我慢したけどね。
洋服買ってもらえなくて
大学の入学式に買ってもらったスーツのスカートの方だけ普段使いしてたら怒られた
そのうちバイトして服買えるようになったけど、当時プチプラとか無かったから高かったんだよね
つらかったなぁ
>>505 女の子の水着は「可愛い!」って目で見られるからね。
妹が姉の水着を譲り受けるのを嫌がるとは限らないね。
男の場合は、ただの紺色の味気ない海パン…そんなもの、拒否したくなるよw
>>508 インキンが移りそうw
とか、なんとか男同士だと言い合えるかも?
>>510 デパートに買い物に行く時なんかもそうだった。
>>508 男の兄弟の場合は下着を譲られたくらいの感覚もあって、微妙な空気感を伴うよな?
下着にしろ海パンにしろ、直に肌に身に付けるものは
兄弟でも共有したくないな。
>>515 文章のどの辺で嗜好と感じるのだろうか?
学校の忘れ物箱で卒業生の服を捨てるというので貰って着てたことはあったな。
>>519 ID変えて再び書き込みしなくてもいいよw
コツコツ節約してなんとか小さな家は持てたけど、老後資産は心許ない
遺産相続でまとまったお金や不動産を貰える人はずるいな、いいなぁ
と、羨む気持ちが惨めだ
>>524 子供がいて残してやりたい気持ちと残せるものがあるじゃん。
君の気持ちは伝わるだろうけど、結果はどうかな。
そして、老後の安心を求めるなら、いつまで生きれるか計算した方が良いよ。
答えが解ったらレスしてくれよ。
>>525 それを言ったらお終いだよ。会話にならない。
>>524 家買えただけすごいじゃん!
その家を売ってドッカーンと勝負よ
>>522 515はオレだよ、別人
耄碌してんのか?
>>524 孫への生前贈与で私立の中高一貫校の学費を出して貰えたという話を聞いた
教育費の生前贈与の非課税枠というのは良い制度だと思う
うちの子は当然ながら公立の中学高校
うちの実家の所有してる土地は山ん中で絶対売れないと思う
相続が怖い
家は持ち家だけど雨漏りだらけのボロ屋で土地は借りてるし
解体するにしてもお金かかるし
不安しかない
>>524 何を寝ぼけた事を言っているんだ。
あなたは相続財産を「遺す側」になったんだよ。
あなたが夢に見た「遺産相続」を嫁や子に託す立場になったんだよ。
相続税基礎控除を超えるだけ資産が有れば自慢していいよ。
でも、そうなれば今から相続税対策を考えるべき。
両親は亡くなったけれど
相続税は払っていないな
亡くなった親の銀行口座は凍結されるので、子供は困ったという話もあるが
全く困らなかった
>>524です
レスくれた方ありがとうね
子供に遺す場合、早めにピンピンコロリしないとだな
要介護状態になったら施設代とか介護費用がかかるようになる
そんな状態で100歳まで生きてしまったら足りなくなって結局
子供に迷惑かけてしまうのが怖い
ちょうど小学生だった頃、
絵の具の筆洗い用の小さい黄色いバケツみたいなのが出回りだした。
俺はそれが欲しくてたまらなくて親に言ったら
「これでいいやろ」ってパイナップルの空き缶に
針金を通したのを作ってくれた。
それ以来、図画の時間が大嫌いになった。
絵を描くのが小さい時から大好きだが、筆洗いにこだわりはなかったな
今でもジャムの空き瓶を使っているし
こだわるのなら、筆の種類や絵の具の発色など
画家には鉛筆を重視する人もいるけど、イラスト絵描きならシャーペンで十分
ゴミ捨て場に行けばインスタントコーヒーの空き瓶とか落ちてたから
筆立て、筆洗い、貯金箱とマルチに使ってた
小学生の時、友達が絵の具セットの筆を洗うバケツ?みたいなのに赤と白を混ぜて「苺ミルク」って言って飲んでて
自分も飲まされた
全然苺ミルクじゃなかった
あの子も貧乏だったんだろうか
数年後、その子のお父さんがパチンコの何かで逮捕されたんだよね
ちょっとご飯には合わないな
パンならいけるかも知れないけど
貧乏だったからイジメで飲まされたんじゃないか
子供は残酷だから
給食のコッペパン余ったのを下校途中の家の飼い犬にやったら喜んで食べてた。毎日熱烈歓迎なのが嬉しかった
レコード買ったこともないのに持ってるって嘘ついた中3の夏…
レコードを一度も買わず、最初に買ったのは中島みゆきのCDだったな
単にレコードプレイヤーを持っていなくて、就職後にCDプレイヤーを買ったから
最初に買ってもらったレコードは細川たかしの心のこり、
自分で最初に買ったのは Wham! の Make It Big だった。
プレーヤーはめっちゃショボいものだったけど。。。
レコードで思い出したけど、ソノシートって有ったな。
小学生の頃、友達の家に何枚も有った。
子供のレコードみたいな感じで、雑誌の付録みたいなのも有った。
大人になってミニコンポを買った。
雑誌の付録で「懐かしのソノシート」みたいなのがあって、内容は興味無かったけど買った。
大人になって初めてターンテーブルにソノシートを載せて回した。
中身は何だったか覚えていないけど、音を鳴らして少し聴いたら、ソノシートはバキバキに丸めて捨てた。
初めて買った洋楽レコードはメリーホプキンのケセラセラ
洋楽はビージーズの小さな恋のメロディの主題歌メロディフェア
悲しきなんとかいうLP 後に日本人がコピーしてたがアルバム名思い出せない
4/19NHKBSで「小さな恋のメロディ」放映予定だ。
あの頃にもどりたね。
人生で「あの時こうしていれば」というのが何度かあったけれど
それでも過去には戻りたくないな
茨の道が別の茨の道になるだけかもしれないし
今現在が人生で幸福な時期かもしれない
時を遡るチケットがあれば、欲しくなるときがある
あそこの別れ道で、選び直せるならば
もちろん今の私を悲しむつもりはない
確かに自分で選んだ以上、精一杯生きる
「バック・トゥ・ザ・フューチャー」みたいにデロリアンが有った所で、多くの不幸が貧乏に起因しているから、親か祖父母世代に飛ばないと意味が無い。そして貧乏を改善しても、今度は自分が存在しない並行世界に戻るハメになるだけ。
ここの住民に必要なのはタイムマシンではなく、「生まれ変わり」や「異世界転生」だと思う。
今、100億円をプレゼントされるのと
20歳に若返りさせられる代わりに無一文になるのと
どちらがいいかというと、20歳に若返りだな
金をいくら積んでも若返りは不可能だからね
貧乏は就職した時点で終了
ほとんどが中世っぽい舞台の異世界の方が大変だと思う
余りにも当たり前過ぎて家が貧乏だったこと知らなかったわw
もう人生やり直しなんかめんどくさいんで100億貰うわ
100億の方がいいね
20歳の時にタイムリープてきるならちょっと迷うけど、でもやっぱ金かな
人生やり直すよりさっさとゴールしたい
ワイも迷わず100億円取る ついでに昔から「女よりも金」という思考
ああなんかねぎ味噌みたいなの冷蔵庫にあったなぁ!
らっきょに付けて食べたような食べてないような
自分は大谷にもホリエモンにもなれなかった。
学問やスポーツでも貧富の格差は有る。
そしてらそれを凌駕する才能も存在する。
自分にはどちらも無く、普通の人に過ぎない人生を送ってきた。
①金持ちで才能あり
②金持ちで才能なし
③貧乏で才能あり
④貧乏で才能なし
自分は④でしかなかった。
それでも結婚して家も建てた。
なんとか普通にはなった。
人生に勝ち負けは付けたくないけど、なんとか「引き分け」に出来たと思う。
死にたいと思うような地獄を何度も味わって、それでやっと「引き分け」な人生を褒めていいのか判らないけどね。
子供たちには「自分より少し上」のスタート地点を準備を出来た。
どこまで行けるのか楽しみにこれからを生きるよ。
>>577 引き分けの中身が分からないけれど
老後の不安が少ない生活が出来るのなら、それで充分だよ
御先祖様のDNAを受け継いで未来に残せたのだから、十分に勝ち組だよ
嫁はいるが子供はいない。持ち家だが年金だけでは生活できない。
俺は負け組なのか?
ピートたけしのお母さんが貧乏人は絶対に教育を受けなければダメだと言ってたらしいけど正論だな。俺は教育受けれなかったから底辺だよ。
中卒だって建設業なら問題ない
知り合いが中卒だが社長やってて年商8億円ある
田中角栄もそうだったしな
建設業は3Kだけあって給与はいいし基本儲かる
気をつけなければいけないのは身体のみが資本だって事だ
体と普通自動車運転免許だけで土木業界を生きてる人たちばかりだから
少し頭を使えば直ぐに上に立てる。
土方の国家資格でも取れば独立も出来る。 来たれ、若人!
自分が生まれる前、両親は町の公民館を借りて住んでたらしい
>>584 兄弟姉妹が同じ分野で活躍というのはよくあるが
北野兄弟が異なる分野で活躍というのが凄いと思う
そりゃあ何十万、何百万家族に一家族ぐらいはそんな珍しい家族も有るって
町中に北野家みたいな家族がいたわけじゃないし、本当に例外だからあんな家庭だったわけでそれを真似しろと言われてもな
その時代ってたけしが特別貧乏ってことないだろ
あれ結構嘘だと思うぞ、親父は塗装職人だし当時はそれなりの収入あったと思うわ
だって兄弟2人いたら1人しか大学いかせて貰えなかったよな?
>>591 結構な金蔓持ってた家庭
でもそれじゃドラマにならないから貧乏家庭にしちゃった。裕福で教育熱心な家庭じゃつまらないし、サクセスストーリーを描けない
>>591 授業料免除&奨学金&アルバイトで大学に行ったので貧乏でも何とかなるよ
大学に行かせてもらうのなら親の財力が必要だけれど、行くのなら自分次第
悪いパターンは親の収入がそこそこあるのに、大学の授業料を出して貰えないことだ
これだと授業料の免除が通らないし、奨学金も不利になる
ウチは大学どころか、高校さえお願いして行かせてもらった。
結婚祝いに親から3万円貰った
祝儀袋の裏面に「少なくてごめんね」って書いてあった
泣いた
>>595 親から貰えるものなのか
一円も貰っていない
そもそも扶養家族だし
>>593 奨学金なんて今みたいに簡単に貸してくれなかったろ?
俺の大学の同級生なんか自分で学費と生活費稼いでいたぞ
だからある会社の社員になって、社員寮住んで会社に許可貰って大学通ってたわ
苦しかった大学4年間に出来た友人は何十年たっても付き合いがある
その時貧乏だった友人6人組は結構偉くなって、1人は某自動車会社の工場長、1人は県会議員、1人はプライム上場企業の役員
俺は中小企業の部長だから落ちこぼれだが・・・
俺の同級生は、高校時代はラグビー部に属しながら離婚したアル中で
横着者の父親を養うためと自分の生活の為に毎朝牛乳配達をしていた。
夜は親戚の家がやっている居酒屋の皿洗いと閉店時の掃除。
俺のていたらくからしたら本当に頭の下がる立派な奴だったが、
現在は香具師の娘に婿入りして的屋の若頭になってる。
娘出してその他に金まで出せってか?
俺は1円も出さなかったけどな
>>598 昭和50年代だったが、無利息の奨学金枠があって成績順に貸してくれたぞ
自分は次点だった
しかし私より成績が良い人の親が退職金という臨時収入があったため年収が基準を超えて枠から外れたので
自分が枠に入れて奨学金をもらえた
授業料免除は親の収入で決まり、人数制限というのはないから普通に免除された
ビンボーなのに大学行った俺スゲー
がまた繰り返されるのか
昔貧乏だった人は昔の貧乏時代だった時のことを語らないし思い出したくもない。
俺も幼少の頃ずっと貧しかったからあの時の頃を思い出したくない
今さらあの惨めな時代を振り返りたくもない。
自宅から通える国立大学の希望学部とどかなかったから大学諦めた。
奨学金は知っていたが、家がオイルショックで傾いたので、返せないのが怖くて諦めた。
会社の上司は夜学薦めてくれたけど、スッパリ諦めた。時代はバブル期で仕事忙しく、夜学行ってたら身体壊していたでしょう。
貧乏家庭に大学という文字も概念もない
高校ですら諦めなくてはならない世界
高校を諦めた友達が一人だけいたなぁ
今でも本業と新聞配達のダブルワークやってるみたい
仕事リタイアしたら大学に通うと長年思っていて金も貯めていたけど実際にリタイアが近くなると記憶力も目も悪くなり集中力も無くなってその金と時間を普通に遊びに使った方がいいんじゃないかと思いつつある軟弱者
悔いの残らぬように好きな事、思ったことをすればいい。
できるうちに。
>>603 そもそもその頃の国立は半期一桁万円だったがな・・・
おらのときは半期7万くらい。アパートの家賃が一月2まん
家賃のほうが浸かった
>>610 近所に60歳(多分)で国立大学工学部に入学した人がいるよ
しかも普通に受験して
それが無理でも、何か学ぶことはリタイア後の人生にプラスになるのでは
自分はリタイア後に天文宇宙検定2級を受けて松本零士デザインの合格証書を入手した
>>617 その人は凄いと思うけど俺の場合大学行けなかったコンプレックスから行きたい学士がほしいと思っているのが大きくて内容的には法律学びたいと漠然と思っているぐらい
英語なんて現状中卒レベルもないし今時のFランならまだしも普通の大学なら教養で躓きそう。実際やるとしたらまず放送大学である程度学んでみて自信が付いて更に学びたいと思ったら他に編入かなと思っている
>>618 産能短大の通信おすすめ
卒業したら産能大学通信に編入できる
>>619 法律学びたいと言ってる人に産能は無い
自分の考えを押しつける前に前提読め
>>620 でも例えば法政の法学部の通信なんてただ教科書送ってきてレポート出せとかだよ。とてもできないよ。それなら産能で幅広く教養をつけた方がいいよ。産能はテキストが独学でもできるようになってる。
>>621 産能は知らんが618氏が考えている放送大学は大半がWEB試験でテキスト見ながら解けるし法律も学べる。編入だって単位用件を満たしていれば産能に限らず可能なところは多い
前提見る限り質問者が触れている放送大学の方が向いていそうなのに産能押しつけるのは明らかにアホ
かかあ天下だったのはやはり父の収入があれだったかなのかもしれない
>>621 >>623 なんか俺のことで揉めてて申し訳無い
産業能率大学短大含めてHP見ましたがもうアラ還なのに今更仕事で使うことなんて全く考えていないし講義内容的に放送大学の方が魅力的かな。地方住みだけどサテライトスペースが現住所近くにあるのもいいと思っています
>>625 私も放送大学に定年になったら入ろうと思ってます。
すごく濃ゆい。
あと、7年仕事がんばろ。
>>625 いや相手の好み無視して自分の考えごり押しする621がアホ過ぎるだけ。あなたが放送大学と書いたのに法政大学ってつまらないシャレかよw異なるもので例える典型的詭弁の手口
俺も地方住みだけどサテライトスペースは近くはないから羨ましい
>>626 放送大学楽しそうだよね。俺も仕事が落ち着いたら考えている
今からでも大学行ける人、行こうと意欲のある人が羨ましい。
自分は昔から頭が悪いし、何も取り柄がないからとてもとても…。
でも本音はやっぱり大卒の人が羨ましいな。
屋根に石とかレンガとかタイヤとかが乗ってた
うちだけではなく並びの一角すべての家
食事中食卓のどまんなかにレンガがずどーんと落下してきて
「あー、腐ってたんだな」と親父が平然と箸をおいて屋根をなおしにいったのを覚えてる
幼い時からあの地区の子と遊ぶなと言われてた地区があった
その理由は中学生になってから知った。
同じ学校へ行ってるのになぜ?という疑問がいつも言われる度に湧いてた
>>632 公務員宿舎は建て替えスパンが長いのか、総じてボロいことが多かったのは知ってるけど、公務員って貧乏?
家賃安そうだし安定してるし、先代からの借金などない限り、ゼロからでもお金貯まりそうな気が
>>633 中学生になるまで知らなかったということは、それに関する教育が小学校でなかったの?
理由が不明なので具体的には書かないけど、うちの学校はその地区に関する教育が小学校から盛んだった。
親があまりあっちの子達と遊ぶなと煩かったけど、ヤンキー予備軍はともかく、ごく普通の子たちとはよく遊んだよ。
>>634 俺が子供の頃は、官舎に入っていた公務員は皆さん質素で貧しかったようだ。
卒業して就職する頃も市や県の職員なんかになろうとする奴はいなかった。
>>633 >>635 団地で育って、その頃はそれが中流家庭だと思い込んでいた。
進学して地元を離れて、世間を知った。
たまに帰省すると、故郷がそんな地域と認識されている事を聞いて胸が痛い。
そういえば大学進学率も異常に低かったな。
昔、地元の旧友が言ってた。
「この重力から逃れるのはほとんど不可能なんだよ。」
今ではそいつも疎遠になってしまった。
>>618 コンプレックスをバネにするのだ。
いつかそのコンプレックスに感謝する日が来るはずだ。
コンプレックスをバネにして跳ねすぎて知らない世界へ行っちゃった奴もいるけどな
>>629 大学ですが、若い頃は将来をにらんでの選択でしたが
この歳からだと好きなものを選べるメリットがある。
人生に限りはあるけど、時間の自由もある程度ある。
放送大学だと、自然科学と文化比較と数学みたいな履修もできるので、そこも魅力的だ。
あとは私の時間と気力次第。
あと、映画が学割になるというのは、ヅルじゃないかと思うが、やってみたい
>>641 いいね
自分も美大の通信で学んでみたいと思ってる
b
rえ
学割は使ってみたいけど早くても60歳以降になるから最寄りの映画館だとシニア割の方が安くなってしまうのが残念
そう。60過ぎて本当は70に近いけどこの歳で新しいことを覚える、知るって
物凄く楽しい。ワクワクする。
年齢が年齢だけに仕事とか将来とかではなく自分が純粋に学びたいこと知りたいことを勉強出来るからね
某月刊誌を学割で買うために娘に頼んだことがあったな
卒業してしまったので、今は自分で買っているが
>>642 確かに美大や音楽関係の芸大もそうですね。
若い頃は将来考えて行きたくても諦めた人も、多数ですね。
高校で水彩や水墨画やイラストすごくても、大学受検で辞めた先輩居たな。
そのあと日展だか二科展だか目指してるのは聴いたわ。
苦学生用にソープの回数券もあった。
10回分の金額払うとチケットが11枚綴ってあった。
ウソだよ
ソープって行ったこと無いな。
なんか高そうだし、よくわからん世界。
川崎の工場勤務だったんで、そういうのは在るのは知っていたが
そこ止まり。
>>648 日経サイエンスとかナショナルジオグラフィックとかだ
>>649 妻が美大卒で、玄関に絵が飾ってある
平凡な植物画なので
百貨店とかで適当な絵を買って飾っていると思われているに違いない
>>642 ド素人が本気で絵を学びたいのなら、
美大よりも美大受験を目的にした予備校で
木炭による石膏デッサンを皆で切磋琢磨した方がいいと思う
でも、この歳で受験用の予備校入学は無理か
基本を押さえなきゃ何を学んでもあまり意味ないんだけれどな
うわべの知識にしかならない
いつまでこの話題引っ張るんだよ
今現在の話はそこそこにな
子供の頃、家がボロ過ぎて友達を呼べなかった。それがトラウマになってる
遊びに行った家で野草茶だしてくれたな。お互い貧乏。
いまの若葉の時期のものの柿の葉蒸して干せばとても美味しく、よもぎとか、ドクダミのとか含めて、自宅でも野草茶を作るようになった。
大人になって十六茶発売されたとき、飲んだ時、裏を見た。
ブレンドは思い至らなかったな。
高校受験の時、勉強部屋も無く参考書も無く、ましてや塾や通信教育すら受けれなかった。
成績が学年上位から真ん中辺りに落ちて、県内トップ高校ではなく、近場の商業高校に行くしかなかった。
その事をまるで競馬の着順が落ちたかの様に「行けると思ったんだけどなぁ」と親父は言っていた。
商業高校だからではないが、勉強しなくても成績は良かったし、地元の金融機関に就職した。高卒なので出世も給料もないが、同じ職場の彼女と結婚したら世帯収入が増えて家も建てた。
今は子供の教育に惜しみなく資金投下しているし、週末は習い事の送迎もしている。
貧乏な上に、酒とタバコ、週末にはパチンコと、子供の教育にお金も時間も使わなかった親父は、俺のそんな姿を見て今頃になって姉に「悪いことをしたな…」と語ったらしい。
親父は86歳。
44年遅かったよ。
地頭が良かった訳ではないので、勉強環境良くてもどうなったか判らない。
でも、可能性にかける気すら無かった事は忘れない。
塾や通信教育を受けられなかったのは貧乏なので仕方が無いよ
自分もそうだし
子供の教育にお金や時間を使わなかったといっても
邪魔をしたわけではないからいいのでは
進学するな働けという父親だったら貧困の連鎖になる可能性があったかもしれない
うちは母子家庭だったから父からの協力も邪魔も無い
>>660 金になるか解らんガキに投資なんかするもんか。
そんなのは、金持ちの考えで、労働者層は収入減として見る。
義務教育が終わったら、収入を得て親を楽にさせるのが子の役目。
死ぬまで、親孝行してから自分の人生を考えればいい。
女なら尚良い。若マンは高値が付く。初鰹と同じ。
鮮度だけで価値がある。本当は、戻り鰹の方が旨いけどな。
>>660 おま俺。
子供には惜しみなく塾とか行かせたし、高校も、大学も行きたいと言うところに行かせることできた。
後は自分の足で歩いて行ける。
自分の思うところの親の責任は果たした、私は満足だ。
孫の顔を見せて貰えれば、元は取ったことになる。
>>662は釣りか、貧乏連鎖の被害者だな
自分の子供にも同じことをするパターン
暴力親に育てられたら、自分の子供にも暴力を振るったりする
連鎖を断ち切ろうとはしない
親ガチャだけはどうしようもないね
自分も「お金無いからご飯食べないで」って中学生の時に言われて高校はずっとバイトしてた
「食事代掛からないから助かるわー」って母に言われるし
自分のバイト代で食材自分で買ってお弁当作ってたら父に「つまみにちょっとくれ」って言われて断ったら「ケチだな」
言われた事は一生忘れないわ
大学は国立以外駄目とかアホか
子供に興味が無くて自分の事しか考えられないクズ親見て育ったから結婚子育てに希望なんて持てなかったよ
姉が三人いたけど食えなくてみんな幼い時に養女に出された
>>660 気持ちは解るが、
公立高校受験は教科書、図書館で何とかなったはず。
中学で働きに出されたとかなら別だか、
そんな悪い父親には思えない。
>>660>>668
地域性にもよるだろうね
自分は田舎だったから、高校受験の頃は塾や参考書や通信教育なんて余程の金持ちか教育熱心な家しかなかった
自分は1人っ子だから狭い部屋があったが、兄弟一緒はザラにあった
>>659 でも紙パックには入ってなかったよな
炒った?麦だけで袋に詰めて売ってたのをヤカンで沸かしてた
>>670 昔はそれだね香りが良かったな
友達の家に行ったら結構な確率で砂糖入り麦茶を出す家があった
砂糖ならまだしも、おばあちゃんの家に行くと麦茶に塩が入ってて、不味くて飲めなかった
>>665 親がだめだと極端に分かれる。
子孫を残したくない。
理想の家族をやってみたい。
私は後者。
さくらももこ先生の、ちびまる子ちゃんも後者の欲望でマンガにしてたはず。
前者の例で最悪レベルは親が宗教にはまっていて、信者増やしたいから、結婚しろ子孫を遺すのが使命だの言われ続けて。。。こじれたもの。とか。
まわりに偶にいます。
>>672 うちの親が麦茶を知らなくて、初めて飲んだ小学校同級生の水筒の麦茶が塩入りだったので、そのまま親に教えて塩入りでずっと飲んでた
高校くらいになって塩なしが普通と知ってそれ以降は塩無しだけど、後から思えば夏場の塩入り麦茶は理にかなってるわ
麦茶の麦は自宅の麦畑の麦を竈で一時間ほど煎ってそれを手拭いで作った袋に入れヤカンで煮てた。
家では砂糖を入れた麦茶と入れない麦茶の二つ作ってた。
>>674 ちびまるこちゃんのお爺さんはやさしい人だけど
現実は真逆だったみたいね
父が土方だったから塩入麦茶だったわ
社会に出て事務員するようになってお客様に塩入麦茶出したらびっくりされた
貧乏だと旅行とか親族の集まり等イベントも無いから世間が狭くなって常識から外れるのはよくある
>>674 前者です
二つ上の兄も独身なのでよっぽど外れなんだと思う
自分の親はおかしいなとは思っていたけど、どんな家庭がまともなのか想像できなかったな
家の冷蔵庫の中が貧相でマルシンハンバーグが嫌いだった。
今は懐かしさで年一回程度口にする
>>679 小さい頃は焼き鳥はレバーと皮が焼き鳥だと思ってた。
高校になり、鶏肉の間にネギがいる、ネギマを知って衝撃を受けた。
>>679 マルシンハンバーグはうちのご馳走だったよ
>>679 マルシンハンバーグはセレブの食べ物
ひとつじゃ足りないでしょ?食べた事ないなー
いま世帯年収5000万(私2000万、妻3000万)だけど、年金受給者になると世帯年収が企業年金と合算でも700万円に激減する。だからいま住んでる所から少し安いマンションに越そうと思案中
女性で年収3000万はかなりすごいな
会社の創業者の娘で権利を引き継いだとか
開業医ならともかく
懐かしい美大の話しよかと
おいどんはクロッキーに明け暮れた日々ですた
4月から美大予備校生の中高生の男児、ヌードデッサン頑張っち。最近はパイパンモデルが多いからお姉さん見て興奮しないでね。
ムービングでは開脚があるけど手も動かしてね
6時間1単位週3回裸婦きつと思うけどのべ200人頑張りましょう
昔は木炭による石膏デッサンが主流だったが
今は自分の手をデッサンさせたりするんだってね
実技試験では
イシイのハンバーグはチキンが基本だが、チキンにビーフ入りもあった。
あんまり違いが分からなかった。
マルシンも今は金パッケージの、豪華なバージョンアップがあるが昔ながらの
白袋は馴染みがある味で好き。
なんか、話題上がりませんが私は
マルダイハンバーグをお小遣いで買って食パンと食べてたな。
袋に残ったタレもパンで拭って食べてた。
なんかすごく美味しかった。あの味付けは子供にはめちゃめちゃ美味しく感じるんだろうな。
最後にたべたのいつだろう?大人になって食べた感想は、マルダイのハンバーグの味だった。
子供の頃はマルシンハンバーグを食べたことがあったけれど
丸大ハンバーグは大人になって初めて食べたかな
今はアミカで買うか、ミンチから作っている
といってもハンバーグの素を使っているのだけれど
マルシンのハンバーブ、いまはラードがついていない
あのラードで作った野菜炒めが美味しかったのにな
母はああいうラードがベッタリした食品は
子供に食わせたくなかったのか買ってこなかったな
でも1回だけ買ってくれたような
普通は自作のハンバーグで兄と一緒に食った
野菜たっぷり、つなぎがたっぷりで肉の味は殆どしないし
ナツメグなんて調味料は使っていない
高校はいって時給400円で小僧寿しのバイト半年やった。
残り物の寿司よく持って帰った。
>>698 高校のときは
バイト先のスーパーで残り物貰って
家の食費が助かり、可処分資金が増えた。
ノート代とか靴代とかお菓子費用とか。
高校の時は大日本印刷でバイトした。
ものすごくきつかった。
家で親父ど風呂入ったら親父の使ったタオル、そのまま使わされた。あわつき
>>703 家借りる金が無かったんだね。
乞食と役者とナマポは3日したら辞めれない!って言うけどどう?
一時一家で橋の下に住んでいたんだよ
二度と住みたくないし、中学の時のキャンプなんて教師に殺意湧いたし未だにアウトドアを見るのも嫌だし憎んでる。
>>709 そっか~。人生どっこいどっこい、悪い後には良いことある。
しかし、悪い事の後はもっと悪いことが起きるのが現実だよな。
会社倒産のあとに震災だったがリーマンショックも来てやっとコロナ抜けたかな?四つ子できたけど不幸は去るのかしら?
>>714 悪いことの後には良いことがある、必ずだ。
苛められた記憶しかない糞兄貴が突然死してから一気に運が来た。派遣先から声が掛かり正社員になれてワープア脱出出来たし長く素人童貞だったのが初めて相手から惚れられた。奴が全ての運を吸い取っていたと思っている
>>716 後からくどくど来るから功徳って言うんだよ。
今日は子供の家庭訪問だったので、色々と思い出した。
ビルとビルの間の狭い路地に階段が有って、そこを登ると狭く長い通路。
家の前には下のお菓子屋からの湯気が立ち込め、隣の中華料理店の匂いと混ざっていた。
狭い玄関と短い廊下。
見回せば、子供部屋も風呂も無いのは一目瞭然な作りの部屋。
そんな家に上がらねばならなかった先生は、今思うと怖かったろうなと思う。
自分は、友達すら来ないウチに先生が来た!と喜んで案内してた。
>>718 はたから見たら、ドラマに出て来る探偵事務所みたいで羨ましいけどな
>>718 それより酷い生活環境から勤勉に進学し、
国立大学出て国家一種取って、中央の省庁に入ったエリートがいた。
家庭環境が荒んでいたわけではなかったのだが、
両親が病気がちで、それ故の貧困だったらしい。
家庭訪問で先生がその境遇に心を痛めていたと言う。
昨年、そいつを連れて先生の家に訪問したら、涙流して感激していた。
ずっと気になっていたそうだ。
学校の先生に何一つ苦労をかけた事のない俺は、順風満帆な人生を
送っていても、先生に忘れかけられていたww まあ、いっか。
>>727 そういえば、西成辺りの人、犬飼ってんな。
家に風呂がなかった
今でも実家には風呂はないが、家の前が銭湯なんだよ
お向いなら家族纏めて月払いみたいにして割引できるのでは?
夏は目の前の川で、冬はお湯を沸かして体拭くだけだった
風呂は五右衛門風呂で薪とかゴミとかで湯を沸かしていたな
その後、灯油ボイラーになり今はエコキュート
>>634 昭和四十年台初頭(高度経済成長期中頃)の地方公務員は知る限り役所、警察、教師とも民間企業と比べて平均賃金が低く
組合運動が強くなってから民間に追いついた感じ
公務員宿舎の質も台所と四畳半二間みたいなもので「団地住まいが夢」「憧れの団地住まい」という気持ちは民間企業の人たちと同じだったと思う
俺が毎朝ナマズ釣らないと一日の食事が悲惨
俺はナマズに助けられた
>>741 アンコウと偽って出してた所あるくらい。
風呂は五右衛門風呂で燃料も節約していたので、入浴は週一だった。
なので幼年期は臭いといじめられた思い出。
その反動なのか現在は極度の潔癖症。
女の子でも汚いって理由で虐められていた子がいたなぁ
貧乏で風呂入ってなかったのかな?
>>744 姉弟多い女の子いて小5の時凄いイジメられてた。担任が靴かってやったら、また凄いイジメられた。俺は見てるだけ。
昔は1時間くらい湯に浸かっているのが好きだったが
今は風呂嫌い
老人が寒い冬に風呂に入ろうとしてヒートショックで
沢山亡くなっているから、風呂嫌いになって良かったとさえ思う
まあ今くらいの季節は毎日のように体は拭くけれど
俺は大のサウナー。体壊してからはいけなくなった。辛い。
>>748 俺はリハビリの時以外は外に出ないから週1。ハゲだからバリカン入れてシャワー浴びる。
かなり前に亡くなった映画評論家の淀川長治さんは風呂に入るのは
1年に1回くらいだったそうだ。だから首筋をこすると皮膚が
フケのようにパラパラと落ちたとか
>>アパートて外に階段ついてる所に住んでた。何故か釣瓶きた。
>>657 家は貧乏だったが、年か一番高かったから、女児含めて飛び乗りとかやったな。
なにせ1日の遊び考えるの俺だつたから、
着せ替えやったりした。
夜逃げ貧乏だったから学校にも一年くらい行ってなかったし、毎日が食材探しだった
春になるとヨモギ、タンポポ、アザミ、セリ、ナマズ、ドジョウ、ウナギ
>>757 天然ウナギだけは羨ましい
まだ一度も食べたことない
大学受験の時内申は合格範囲内、当日の試験も結構点数取れてたみたいだし
面接の時に志望動機もしっかりしていたから「うちの校風に合うからいいね」と言われてとても和やかに進んだけど
「お父さんは自営業ってなってるけど寄付金とかあるけど大丈夫かな」って
聞かれた時に「大学なんてお金ないから受験するだけ」と母に言われていたので口ごもっていたら
不合格通知がきた
すごくやりたかった仕事に直結する学部だったけど寄付金いるなんて知らなかったし
面接官にも褒められて嬉しかったからあの瞬間は今でも覚えてる
担任にも親にも誰にも寄付金の事を聞かれた事は言っていない
結果を聞いて父はがっかりしてたけど、あんたの嫁が金を出さないからだよ、ってずっと思ってた
学年で一人くらい凄く子だくさんで、貧乏の子いたね。
貧乏ってやだね。
若いうちの苦労は勝ってでもしろ、って言葉があるけど、嫌な言葉だ。
>>763 若いうちは、てのはせめて大学生以降だよね。教育に影響出るぐらい貧乏だとスタートラインにすら立てない
>>718 家庭環境確認するのが家庭訪問だしね。
>>765 借金という名の奨学金を背負わせたく無かったんで、子供の分は頑張った。
そこそこ金持っているはずの家の子が奨学金受けていたのは衝撃だった。
何かしら節税で美味しいものがあったのかしら?
就職して賃金安いうちから返し始める奨学金の返済は人生の負債になると思ったのだが、私の頭がおかしいのかしら?
>>766 社会人になりたての頃先輩が言った。
ローンが人を育てる。
>>763 苦労は買ってまでする必要は無い・・・というのが、座左の銘(右ではない)
>>767 借金は人は育てず(利率で)借金を育てるだけだから意味ない
奨学金は前倒しで返済した
「貧乏は買ってでもしろ」
これは金持ちの発想で、金持ちらしく貧乏を金で買おうとしている
つまり、金持ちによる「貧乏ごっこ」が、貧乏は買ってでもしろの語源発想
間違っても貧乏なんかするな!
一年間学校にも行けずに橋の下で隠れるように生活した俺の感想。
間違っても貧乏なんかになるな
人騙してでもいいから先ずは貧乏から抜け出せ!
>>767 その先輩を小一時間問い詰めたい。
リボ払いを薦める信販会社以上に問い詰めたい。
>>767 俺に関しては同意。まあ借りたのは信販会社ではなく親だったけど、新車買うのに借りたら結婚前は信用金庫に勤めていた母親がサラ金より厳しい取り立てwこれも躾だと言っていたが仰る通りいい勉強になった。おかげでそれ以降は自宅マンション買ったとき以外はローン組んだこと無い
昔はナマポになるのは犯罪者になった奴と同じ扱いだった
>>774 ママン金融は借金じゃないよ
おじさんの取り立てが家に押しかけてこそ本物
>>776 給料日から三日遅れたら鬼のような催促が来て私生活まで間食されるんだからサラ金以上だよw
>>779 隣に醤油やみりん借りてこいって親から言われてコップ持って行ったわw
そんなの子供に行かすなって今なら思う
>>781 自分で行くの恥ずかしいから、子供に行かせた。
みりんを買ったのは結婚してからだよ
料理にみりんを使うという概念が無かった
就職してからは貧乏ではなくなったが、一般人と比べて色々と抜けていた
以前、電子レンジが家に入ったのは結婚後と書いたのは私
中華鍋に油が入ってて揚げ物に使ってたけど
いつも茶色に濁った油だった
油は透明感のあるものだと知ったのは大人になってからで
ちょっと恥ずかしかった
スーパーの廃棄をよく漁った
〇〇は三日やるとやめられんというがホント
まじめに稼ごうと思う気持ちを削ぐから有害
>>791 スーパーの廃棄はシングルマザーが持って帰る決まり。
スーパーのシングルマザーは店長が持って帰る決まり。
>>794 それが、店長の役得。
後、天津甘栗うる屋台から、金貰ってた。
https://toyokeizai.net/articles/-/667290 たまたま読んだ記事の件
教育環境が整っていないことを問題にしているけれど
塾とか予備校とかとは全く縁が無い自分よりは恵まれているのだが
世帯年収も記事の人の方が多いし
家が貧乏で、小遣いがあまりもらえず流行りのモノも買ってもらえず同級生と同じ遊びが出来ず見てるだけだったり、仕方ないなあと奢ってもらう日々だった。
「この100円拾ったらお前にやるよ!」 と田んぼに投げたのを取りに行ったら5円玉だったり。唐辛子畑で遊んでた時に「この唐辛子を食べたら100円やる!」って言われてまだ緑のを食べたがすぐにはもらえず1週間言い続けてやっともらえたり。
貧乏ネタでいつもバカにされていた。
あれから40年あまりたち、俺は会社経営の大金持ちに、だったらいいんだけど残念ながら平均的な月収で妻と二人で暮らしている。貧乏と言われることはない。
ある日、コンビニに入ったら小学生ぐらいの男の子がアイスのコーナーの前でウエストポーチに10円玉や1円玉を並べて数えていた。
40年前の俺がここにいるんだよ。
ウエストポーチの上から1円玉が床に落ちた。
男の子は拾わずに数え続けている。
俺はLOUIS VUITTONの小銭入れを開けた。50円玉が2枚入っている。1円玉の色に似た50円玉2枚を取り出し、その手で男の子の足下に落ちた1円玉を拾い、50円玉と重ねた。
「落ちたぞ」と差し出した。男の子は増えている硬貨を受け取り、エッと顔がうごいたが、声を出すこともなく俺を見上げることもなかった。俺はそのまま振り返ることなくコンビニを出た。
お礼は言わなくていい。好きにお金が使えるようになったら、使えない人間もいることを忘れないでほしい。お金を持っていない人間を馬鹿にしないでほしい。それが俺の願いだ。
素質の欠片もない恥ずかしいラノベ作家が迷い込んできたw
>>786 うちも結婚して初めて電子レンジ買ったな
実家には今も電子レンジは無いよ
>>798 カムイ伝で、農民の子が非人の子に神社に供えている饅頭食わしてやるって、虫喰わせたり小便飲ませたりした後、食いたきゃ食えって言われた非人の子が饅頭食ってたら、非人のガキが饅頭盗みやがってって大人にリンチされて殺されたシーンを思い出した
サンマと言えばみりん干しのサンマだった。基地外の好物だったらしい。
居酒屋でサンマの塩焼きに戸惑った。これ何??初めて秋刀魚を知った
実家は1985年くらいまで白黒テレビだった。
レコードもこのくらいまで現役だった。
>>804 確かNHKの受信料ってモノクロとカラー契約で別れてたよな
>>801 使ってみると便利であることが分かるが
無かったときは無くても困らなかったな
>>805 払えませんと親が土下座してたのを見たことがある
なんなんだろうか。
時代が悪かったと一括りで決めつけられるものなのか。
要領が悪いのか、頭が悪いのか、条件の良い職場が少ないのか、
とにかく大抵の家は貧乏だった。
今なら貧乏とはいえ、普通に働いていれば車だって持てるだろうし
そこそこの生活は出来るのに。
うちは親父仕事コロコロ変わって、バブルなんてなかった。
>>809 終戦後、どん底からのスタートだからね
貧乏人は貧乏なりに右肩上がりだったから、希望があったんだよ。
むしろ戦前は固定されてた身分制度が崩壊し、貧乏人でも成り上がれる機会を与えられた。
今は相対的に教育水準も上がり、そこそこの生活ができるようになったけど、
上昇機運が無いから、世の中が閉塞してるように思えるだけ。
うちの父親も職を転々として貧乏だった(失業してる期間も長かった)
零細企業しか行けないしどこに勤めても職場や上司の愚痴ばかり言ってた
なのに大企業や1つの会社で勤め上げる人を大樹に寄り掛かる無能とバカにしてた
給料だけじゃなく退職金で大きく差がついても自分が無能とは認めなかった
今は年金が安いとグチグチ言ってるが、どう見ても自業自得だな
>>813 まったく同じ。離婚するといって、家か金か?って言って、家の権利書そのままにして金もくれずに、どっかにいってしまった。何回もしてるけど、もうこれで最後。
>>813 それでも子どもはかわいがったとかあるなら救いがあるけどね。
可愛がるのと教育を与えるのとは別
無理してでも大学行かせておけば我らの世代は学歴でソコソコ良い就職先があったはず
奨学金申し込みたかったけど恥ずかしいから駄目だって言われた
うちは貧困の連鎖の見本みたいなものだわ
毒親というか世間体を異常に気にする性格だったので
大学とか勤め先とか結婚相手とかに五月蠅かったな
自宅から通える国立大学で授業料免除と奨学金を受けるという選択肢しかないのに
私の実力と経済事情を無視して名門難関校に行けと言う
高校の三者懇談の時に先生も呆れていた
先生の話では、子供が背伸びをして親が無理をしなくてもと言うのが普通らしい
ちなみに失業保険も未払い金も、職安からの教室、いけばお金貰える。すぺてもらったが、国保は2年未納して時効。
>>820 で、どっちに行ったの?って言うかそんな選択肢があっただけでも羨ましいぞ
自分は高校卒業したけど、それ以上の進学なんて専門学校含めありえなかった即就職
弟は中卒で自動車整備で働かされたがその後いろいろあって自〇した
妹は中卒で床屋に住み込み奉公に出され、床屋の親父にやられて精神崩壊
土手にかぁちゃんお手製のおはぎを捨てた先生が悪いんやない。全部貧乏が悪いんや
国が悪くても俺たちは生きていく訳だから
少しでも良く生きたい。
体か頭を使って他より抜きんでるしかない。
他者のせいにばかりしているうちに置いて行かれる。
進学就職を考える時にちゃんと教えてくれる人が周りにいないと貧乏脱出は難しいよね
環境が貧乏を作ると思ってる
俺、社会人になって2年で辞めたら上司、漁業協同組合紹介為てくれたのに、魚嫌いだからいかなかった。
後悔先立たず。
後、農家で市役所勤務の親父いる奴、コネで入れたのに断った。30年前。そいつ資産家だから、派遣社員で100坪(土地持ち)の家立てて、娘、立教。
>>826 逆も真なりで
頭が悪くても、貧乏でも、中学校の先生に手に職系の工業高校薦められ
バブル期前に会社入り人並みがどんなもんかわかったわ。
バブル期は残業しないと注文こなしきれず残業代で毎月ボーナス近いお金貰ってた。
遠慮なくジャンプやサンデー買えていたのが嬉しかった。お昼ご飯は一番安い日替わりランチだったが、預金の金額が増えてゆくのが幸せだった。
バブルの頃は、働いていれば皆んな守ってくれて、感謝されて、お金たくさん貰えて、いい時代だったな。
>>822 そりゃ、国立大学で授業料免除だよ
高校を卒業してから大学入学するまでの間、プラスチック工場でアルバイトした
>>826 貧しくて大学行けないなら、中学の時少し勉強して高専を狙うとかアドバイスしてくれる親ならいいけど、貧乏人の親は全く無関心だからな。
>>827 貧乏でまともな教育を受けさせて貰えなかったのがよくわかる文章だよね
>>829 良い先生に出会えて良かったね
親が子供に興味がないと視野が広がらないから
人生の転換期に出会う指導者って本当に重要だと思う
昭和は父親が高卒なら会社員で金持ち、中卒なら自営業か工場勤務
小学校へきていく服が明らかに違った
俺の育った地は東京近郊だったので農家の子はみな裕福だったな
家も立派で土地も広く賃貸の大家もやっていた
小学生の頃、真冬の登校は手拭いやタオルで頬かむりをしていた子が多かった。
さすがに先生がみっともないからやめてくださいと言ってたw
>>837 減反政策だっけ?
田植えをしなくても悠々自適の生活という感じに見えた
>>839 ワロタw
一人でやると格好悪いことも、皆でやると面白楽しかったろうなあ
知り合いの田圃、大学になるからって1京て売れたらしい。ケイターハムスーパーナイン乗ってた。
>>843 1兆の何倍もする1京だよ。
ジンブバエは1兆札持ってる。
世界中のどこの国でも1京の国家予算はあり得ない
と、マジレスする俺
日本の国家予算が100兆円
子供の頃のオヤジの収入は10万円
国が国民に配ったのも10万円
今は恵まれてるな
新入社員の頃、早く10万円の給料が貰えるようになりたいな
と毎月思ってた。
時々スレに参加しないでROMってると面白いね
なんとか話の流れを学歴自慢にしようとする流れとそれを拒もうとする流れがw
運を含めて、特別な才能がない人が「貧乏だった」と過去形に出来る切っ掛けは、主に学歴になるから
自慢のつもりが無くても、国公立大学、授業料免除、奨学金の話になってしまう
>>850 そだね。
奨学金とバイトで苦学して学歴を手にいれた人たちと、高校卒業後はすぐ家にお金を入れて家族を支えなきゃならず、進学なんてあり得なかった人たちの攻防。
私は高校の頃には親の仕事が成功して貧乏脱出してたから、その辺はただただROMってる。
私立の3流6年行って地元の大手企業の社長になったひといるよ。
高卒でもすんなり大企業に入ることができた時代だからな
高卒で市役所勤務、高卒で都市銀行就職がコスパ最強だった。
その前は、中卒が金の卵って言われて、大企業の現業してた。
仮に80過ぎて生きていても半分ボケていて今の自分を思い出せない他人
>>857 俺ももう人生の四分の三生きてしまったわ。
残り四分の一は好きなことして過ごしたいな。
俺の周囲に80過ぎた知人が数人いるが、
皆さん人が変わったように不愉快な対応で取っ付き難くなった。
なんだろう、先が短い事への悔しさと不満と焦燥なのか。
>>886 それボケ、俺の周りはゲートボールしたりして普通。
ゲートボールは他人の玉を排除する最後のイジメゲーム。だから老人達が本性剥き出しで熱中する
>>864 今時まだあの陰湿なゲートボールなんかやってる地域があるのかい
>>862 両親の享年を基準にすると
残りの人生はマイナス4年だわ
>>863 年を取ると人間丸くなるんじゃなくて、理性のタガが外れて本性剥き出しになってくると聞いたことがある。認知症の一種かもしれんが。
そう言われてみるとそんな気がする。
最近、ますます酷くなってきて、こちらも一瞬ムッとするような
言動や態度で接して来る。
朱に交われば赤くなるだけど、この年になると本当だと思う。
言いたいこと言うようになるのはある。遠慮なく言うが
しまったなと気がつく
親父が年末にシャケの真空パックを持って帰ってきた。
正月に開けて食べようとしたら、食品サンプルだった。
犬猫は飼えなかったので寒さを凌ぐには
とにかく厚着。でも服は少ないからボロ毛布や
布切れを巻き付けて耐えた
7人姉弟の子同じクラスにいたけど貧乏で靴ぼろぼろだったから担任が買ってあげたら問題になった。
団地に男ばかり7人兄弟っていたわ
米がすぐなくなりそう
2ルームの家で両親が営んでいて、母親の喘ぎ声が聞こえる。
中学の同級生で高校ん時愛人バンクやってるという噂のがいた。本人頭が弱くて、気づいたら家ごと引っ越していた。
当時はそこそこな家だったが、後に思えば貧乏が始まる処を見たような感じがしてる。
私の青年期に近所のボロ家に物凄く綺麗で色っぽいお婆さんと
これまた凄い美人の孫娘が二人で暮らしていた。
何をして生活費を得ていたのかは知らなかったが、近所のよしみで
少しづつ彼女らと話をしているうちに、二人とも知恵遅れだと悟った。
まともな会話ができない。しかし、着ているものは高級でセンスも良い。
今頃どうしてるだろうか、とふと思い出す。
知恵遅れなんて言い方久しぶりに聞いたわ
少しはアップデートした方がいいんじゃないの
>>893 そうかw 知的障害のオマエに言われてもな。
近所でばあさんと孫娘の2人で大きな家に住んでる一軒家はあったな
貧乏とは縁のないような家だったが
回覧板もっていってばあさんがチキンラーメン食べるところで
いろいろもやもやした記憶
おかいこさんだろ
日本が貧しかった頃はよくある話
富ある者は貧しき者に分け与える、イスラムの教えと同じだわな
違いはイスラムは不倫は駄目、多重婚はOKというところか
家族揃って外食に行ったことがない
家族の一部でラーメン食べに行ったことがあるくらい
焼肉すし等未経験のまま大人になった
>>900 俺は回ってない寿司屋今でも行ったことない。
>>901 最近かっぱ寿司に行ったけれど、回る部分が停止して直通になっていた
はま寿司もそうだよな
俺は海沿いの田舎者なので回らない寿司屋が多いな
昼のランチなら酒頼んでも2000円位だし、夜でも居酒屋感覚で4000円はしない
回転寿司の高級な所で弥一ってあるんだけど、昼10皿食べると大体5000円。
あ、最近の話ね
そもそも飯食う事自体が嫌いだったので20歳までは身長170cm体重50kgしかなかった
当時はボクサーが向いてるんじゃないかと思った、ボクサーって貧乏人の方が有利だよな
子供の頃ラーメン屋でラーメン食べたかったな
大人になって自分で稼いで食べたけど、子どもの頃に食べたかった
ラーメン屋やってた。屋台引いて。
1日3000円くらいもうけ。
袋麺に前の畦道で採ったハコベや菜の花を入れると美味しい
風邪ひいた時だけ好きな果物が食べれた。
外食は正月、お盆、年末だけ。
夜、晩御飯が足りなかったので、買っておいた魚肉ソーセージでご飯を食べた。
嫁が「魚肉ソーセージって、おやつって感覚だけど…」と話していた。
魚肉ソーセージ&白米って、ご馳走だと思っていた。
子供の頃、母が魚肉ソーセージを薄く切って、フライパンで炒めて卵とじにした物を作ってくれた。
ご馳走だった。
>>916 卵は直売所で買っていた
家の食事の基本は御飯と卵焼きと、その他の何かだったな
うちはスーパーで1000円以上かったら100円っての買ってた。
卵2はサッボロ1番の味噌ラーメンに入れた。
>>918 懐かしい、うちの母ちゃんもよく作ってくれたわ
焦げ目が付いてるのが美味いんだよな
貧乏だったけど鶏を飼っていたから毎日産み立ての卵を食べられた
でも近所の同級生に盗まれたり、最後は鶏が野良猫に襲われて食べられてしまった…
その頃はトラック野郎でも住所トルコにしてるで通じてた。
>>924 うちは野犬に襲われたらしい。
小さすぎて覚えてないけど。
豆ごはんのみでおかずは?って聞いたら豆ごはんだからおかずなんていらないでしょっ怒!
レタス数枚にマヨネーズがおかずで、たまに味変で塩で食ったり
自分の金で食えるようになったら今迄の分を取り返そうと暴飲暴食がたたり
糖尿病をしっかり患いましたよ
うちも味付きご飯の時おかずなし。
おれも糖尿病7,8くらい。
俺の周囲でも子供の頃に貧しかったので食べる物に対する執着が強くて
働いて自分で好きなものを食べれるようになったら、際限なく食べ漁り
結果、糖尿で違う意味で食べられなくなってる
>>930 アイスクリーム、チョコ、炭酸飲料、もう11年口にしてません。
糖尿だって好きなもの食べていいんだぜ?
治療始めて10年選手だけどa1cが7くらいだから平気でしょ
好きなもの食べたいから身体を動かすよー
出されたものは絶対残さず完食する
そういう子供時代の習慣が良くなかったかもね
自分の子どもが残したらそれまで平らげるし
貧困というより学生時代を思い出す
バイト代はバイクとガソリンになって食うもので節約で
インスタントラーメンライスだった
ストレスで安くて簡単なもので満たそうとしちゃうのは子供の頃からの癖なんだな
この辺で生まれ変わろう
>>934 今でもやっているので貧乏というイメージはないな
>>928 レタスに酢醤油だけとか塩振ったトマトだけがおかずだったから
たまにポテトサラダとかマカロニサラダ出たら嬉しかった
今でもおかずポテサラだけでも文句なくメシ食える
塩ふりトマトはうちもよく出た
きゅうりとワカメの酢の物も
俺はタコとワカメの酢の物をよく食べさせられたからタコが嫌い。
うちは、トマトに砂糖だったな
つうか何にでも砂糖だった
お陰で今糖尿病
マカロニサラダとポテサラはマヨネーズが入っていて好きだな。
マヨネーズは特別に好きかな。
>>942 昔は知らないけど、今はこのご時世の物価高になるずっと前からタコ高いよ
>>945 そうなのか?俺、タコが焼きでもタコ抜いて食べてた。
>>945 20年くらい前からだっけ?
昔は100g100円でスーパーのチラシにあったよね
子供が喜ぶからたこ焼きはするよ
@大阪
>>946 [sage。]は承認欲求か?
同じ奴が居座るスレは糞スレなので冷めるんだよ
チラシの裏に行けってこと
誰か
>>948のレスの説明してくれないか?
まだ理解できないんだ
>>950 sage。だとsage判定されないからスレがageられる
そこを承認欲求と皮肉ってると思われる
>>953 でも変えないんだろうな レスがついて絶頂状態だろ もうNGの放り込むか スレタイと違うじゃん
何で面白いと嫉妬するんだい。さてはリアルでも真面目だな。
給食で残したパンを入れるビニール袋がみんな売っているシワにならない厚手のビニール袋を持ってきてたのに
俺だけスーパで肉や魚買ったときに入れるシワシワのビニール袋
小学校の卒業式でみんな卒業式用のフォーマルな服装なのに
俺だけ普段着
>>957 普段着にするように言われたぞ
ちょっといい服を着てきた奴はいじられてた
金持ちにはノータッチ
みんな貧しかったんだよ
小学生の時はずっとジャージだったけど一着しか持ってなかった
中学生になった時下着も買ってもらえなくて自分のおこずかいでワゴンセールの100円パンツを買った
今考えるとネグレクトだよね、それがおかしい事すら分からなかった
子供時代に良い思い出は全く無いから結婚して子供を持とうとは思わなかったな
修学旅行でジャージが必要と言われたんだが
昭和40年台ってジャージが売ってる店が少なくてな
やっと問屋を見つけたが高くていとこに借りたんだ
子供の頃ずっと親戚のお下がり(それもかなりのボロ!)ばかり
着ていた友人がいた。大学行ってバイトして自力で服を買うように
なってから普通の格好になったが、貧相な格好故に彼女はおろか
友達もほとんどできなくて可哀想な奴だった。
家もボロボロな借家で、友人も呼べなかった。
そんな彼も、親が必死に大学へ行かせて、彼の代で貧困は脱した。
彼は今でも、ユニクロで服を数着買うのにこの上ない幸せを感じて
いるらしい。結婚もして、子供たちも成人して、経済的にもかなり
ゆとりが出てきたようだが、貧困で培った倹約癖は今も健在だ。
奥さんも笑いながら、「うちの人ほんと貧乏性でw」と言っているが、
家族の身なりはきちんとするよう彼も最善を尽くしてきたらしい。
自身は質素な服装が落ち着くらしいが。
>>963 学歴と良い嫁を手に入れるのが次世代の繁栄につながるな。
ここんちの親は運と金は無かったが、頭は有ったんだな。
貧乏人はネタが無くなると自作自演までするようになったのか?
学校行かせた親が偉かったね
こういう親なら将来親孝行しようと思うけどクズ親には思わないもんなー
今話題のトー横の子供たちとかヤングケアラーとかどうにかしたいよね同じ轍を踏んで欲しくない
そもそも大学へ行かせれば貧乏から脱却できるという思考回路がない。
むしろ早く働いて家にお金を入れろとか、さっさと自立して家から
出て行って欲しいが関の山だろ。
結局親が大卒なら子供は大卒だし、親が大卒じゃなければ子供は大卒じゃなくなるんじゃないかな。学歴が連鎖する。
>>968 近くの団地でも、親が必死にけしかけながらも
皆大学受験で玉砕して専門学校へ行ったなあ。。。
2浪して専門ってコースが多かった。
当然ながら、この年齢になるまで、数え切れないほど
職を転々として、今も底辺で喘いでいる。
>>968 親の学歴よりも親の考え方だろうね
両親は中卒だけど自分は大卒だし
授業料免除制度があるとはいえ、貧乏だときつかったな
セブンのおにぎり買ってきた。値段が上がったけど筋子と明太子は昔の量に戻ってた
>>973 それ普通、友達んち2個あるが娘4人いる。オール電化だから電気代あがってアップアップ。
>>968 同意。
親は両方中卒で姉も中卒。ワイはなんとか底辺高卒だが…。
そしてワイは勉強はトコトン苦手。
>>973 うちは男2女2の家族構成でウォシュレットつき2、男専用が3(うち1箇所は屋外)あるよw
これでもたまに朝の大を催した時に2つとも使用中の時があって困ることがある
人数にもよるけど1つしかない家は大変だろうなと思うわ
よくステータスシンボルとか言うけど
巨大な資産を築いても、贅沢したいとあまり思わないな
中国産の安いウナギや日本の安い米がおいしく感じるうちは
高級天然ウナギや魚沼産コシヒカリに手を出したくない
音楽好きでスピーカー等のサウンドシステムに凝るのもいいけれど、
キレイ過ぎて贅沢している気分になって、自分はモノラルでいいやってなる
苦労して大きな富を築いたのならともかく、
株などの投資で大儲けした作った富なら
贅沢すると魂が腐っちゃうみたいでね
まあリアルでは貧乏だけれどさ
ちゃんと勉強して資格取って貧乏から脱出できる子が増えれば良い事だよね
でも親がクズだと視野が狭くなってどんな仕事があるか、何が自分に出来るかがまず分からないもんな
>>982 同意です。結局やるのは自分なんだけど、子供のうちから多くの可能性や情報をしめしてやるだけでも随分違ってくると思います。
親ガチャはあるよ
俺は生活保護の母子家庭だったから
親ガチャが甘えだという人は自分のことだけ考えることができた恵まれた人だよ
大学行かないで働いて家に金入れてる人もたくさんいる
当時は高卒でも大手は採用してくれたからそこへ行くか、中小零細に行くか、
はたまた公務員になるかは本人が決める事。その辺から人生が決まっていく。
で、中小零細に行った奴が職場環境から資格なんかに目覚めて、取得に励んだ結果
年取ってから経済面で助けられることがある。
>>985 親ガチャは甘え
母親がいて父親がいてこそお前が生まれた。
貧困の連鎖は確かにあるが
お前にも貧困の連鎖を断ち切る可能性はあったはず
今からでも遅く無いんじゃないか
>>988 もう遅いよ。30年前にいってくれてたら。。。
まあ甘えって言えば甘えだけど明確な差があって下から成り上がるには相当の努力が必要なハンデを負ってるのも事実よな。
俺は最終学歴中卒だけど司法書士とってなんとか人並みの生活レベルまで上げてきた。
でも金のある家に生まれて大学行ってたら司法試験目指してただろうなとは思う。
俺が司法書士受けたときは司法試験には学歴ないと1次試験からで英語が苦手な俺には無理だったし。
今の予備試験みたいに学歴区分なかったら良かったのになあ。
>>991 司法試験受けてたらなってのは妄想だけど俺が司法書士なのは本当だぞ。
>>992 またまたネットてひらったのあっぷして。
>>993 ID書いた付箋貼ったんだけどな。
まあ司法書士レベルでも信じないって輩が絡んで来てくれるんだって思うと自尊心がくすぐられてちょっと嬉しいよ。
>>996 舐めるなよ。俺はこの界隈ではチヨットした有名なハゲポだ。
>>992 その頃って自分は中学生だよ
このスレは50代以上となっているが、70歳以上はほとんどいないと思っていた
>>998 昭和48年生まれがなんで70歳以上なんだ。
オマエは引き算も出来ないバカか?
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